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魯山人さんのこと

----- お父様は、もちろん徳岡社長も、いろんな方をご存じというか交友がおありでしょうけど、その中で魯山人さんのことを・・・。

徳岡 ああ、魯山人さんね、親父がこの吉兆を始める前。二十九歳の頃、数え年の二十九やから。

----- あ、まだ吉兆さんはじめられる前ですか。

徳岡 はじめる前です。

----- その頃お父様はどういう状況だったんですかね。

徳岡 神戸で仕事をしてはった。

----- みたいですね。

徳岡 神戸の親父さんの店で、後継げ言われて。上の学校へ上がらせてもらえんのやったら、ええ職人さんを雇ってくれと言うて、当時の大阪の有名な職人さんを選んでつけてもらって、ずっと父の中現長という店にいたんです。昔の旦那衆言うたら皆二号さん三号さんてあるんですわ。うちもそんなんで、そのことで大喧嘩をして飛び出してしもうて、その頃に魯山人さんの星ヶ岡茶寮が全盛期だったそうです。そこでその星ヶ岡茶寮に入れたるゆう人が現れたもんやから、その人の言葉について飛んで行ったんですが、半年ほど東京でつながりの職人みたいな生活しながら待っとったんですけど、どうしても魯山人さんと会うことができませんでした。

----- そうなんですか。

徳岡 戦後、お友達になってリンゴ箱に器をいっぱい詰めて送ってくれはって。

----- そう、その話に私ものすごく驚いて。

徳岡 その時分、魯山人さんの(器)てそんなに高いもんやと思うてない時代でしたから。そんな時代がありましてね、魯山人さんとの思い出言うたら色々父は持ってますわ。持ってました。過去形やけど。

----- そういう話をして下さるんですか。徳岡さんに。湯木さんはときおり。

徳岡 いやあぁ、酒飲みながらお相手しますやん。その時にね。

----- たいがいはお食事やお酒召し上がってる時に、「こんなんでなぁ」ということで?

徳岡 そうそう。

----- いいですね、そんな現場を見てみたいですね。

徳岡 ほんまにね、魯山人さんにえらい可愛がってもろて、鎌倉の窯へ行ったりして。その時分、魯山人さんは大きな椅子にどっしりと座っておられて、その前に職人さんがほぼ出来上がったものを持ってこられたのを、ちょっと触っただけで雰囲気が全然違うんや、と言うて。横に座って見ていた親父は、感心していました。

----- あら、そうですの、すごい。

徳岡 荒川さんもやっぱり向こうで職人してはったでしょ。その作ってはる横にいてずーっと見てたんでしょうね。

---- そうなんですか。やっぱり稀有な方なんですねぇ。

徳岡 大会社がスポンサーになったり、魯山人さんの跡継ぎのことでもいろいろいきさつがあったんです。ほんで、大阪にも店出しはった時期があったでしょ。星ヶ岡の支店を。

----- そうみたいですねぇ。

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