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その道で守るべきもの、創造すべきものとは何か。
京人の二人、茂山逸平氏と吉兆・徳岡邦夫氏が、狂言師と料理人、
それぞれの立場から語り合う。

お豆腐のような狂言
徳岡 茂山家では「お豆腐のような狂言」という表現をよく使われますね。これは具体的にどのようなことを意味されているものなのですか。
茂山 その言葉、実は二世千作への悪口に由来しているんです。元々狂言は一部の特別な階層だけの間で興じられるものでしたが、二世千作は、いろいろなところに出向いては狂言を演じていたらしい。やがてお祝いの席などで余興に困ると「茂山の狂言にしとこか」といわれるようになったと伝え聞いております。
徳岡 京都では、料理のおかずに迷ったら「お豆腐にでもしとこか」となりますものね。
茂山 そんな揶揄を受けた二世千作は「お豆腐で結構。お豆腐のように、どんな所でも喜んでもらえる狂言を演じればいい。より美味しいお豆腐になるようにすればいい」と切り返したわけですね。
徳岡 湯葉や豆腐って、千二百年も昔から日本人が食べ続けてきた食品なんです。豆腐は本来にがりで固めますが、吉兆では素材の味を逃がさないために、豆腐をゼラチンで固めたものを豆腐としてお出ししています。そうすると大豆の風味と滑らかな食感が味わえる。この豆腐のもうひとつの利点は、熱を加えないので、中にウニや生鮑のような生物が入れられるということなんです。
茂山 まさに先代が語ってきたように、料理の仕方で高級な味にも庶民の味にも変化していくわけですね。

型破りと形なし

徳岡 逸平さんの先代が食べて、これが豆腐だって考えていた豆腐って、どんな風味でどんな形をしたものだったんだろうな。
茂山 狂言を演じるときには「角があって柔らかいものにしなさい」とよく言われました。自分できっちりとしたものを持ちつつ、柔軟性をもって、枠の大小なりで表現しなさいと。
徳岡 型破りなことと形なしとは、まったく異なるものですからね。
茂山 おっしゃるとおりです。古典狂言は内容がとてもシンプルですから、舞台の半分は観客の想像力にお任せするようなところがあって、だからこそ演じる側に確固たるものがなければならない。型がないものは想像できないですからね。
徳岡 美味しい豆腐って、柔らかくて堅いんです。矛盾しているようだけど、決してそうではない。狂言の舞台も料理も、その場その場に適応していくものを提供できないと、受け入れてもらえないわけですね。
茂山 変えてはならないものを弁えつつ、時代に適った表現を取り入れながら新しい世界を提供していこうというのは、古典でも料理の世界でも同じなんでしょうね。

芸と技の伝えられ方

徳岡 そうした芸や技の極意というのは教えられるものではなくて、師匠を見ながら稽古や修行を積んで体得していくしかないんですよね。
茂山 師匠も、先代から教えられたことは教えてくれるけど、先代の教えにないことは教えてくれない。だからたとえ自分が舞台で違うことをやったとしても、それを指摘されることはないんです。それがむしろ怖かったりするんですけれど(笑)。
徳岡 私の祖父、吉兆初代の湯木貞一も相当に厳しい人でした。調理台の上の全体を見渡せるところに座布団を敷いて座って、職人の仕事をじっとチェックしていた。大きい鉄の鍋を運んでいた若い衆がひっくり返って手を切ったときなども、上から「鍋大丈夫かぁ」って感じで(笑)、冷徹なまでに厳しかった。
茂山 今よく話題に上る体罰云々のレベルの話ではないですよね。手も出るし足も出る。人格を否定されるまで叩かれ鍛えられますから。
徳岡 逸平さんが恵まれているのは、お父様をとおして曾御祖父様の芸を、御祖父様をとおして曾々御祖父様の芸をたぐり寄せることができるという点だと思います。そういう時間の仕組みと積み重ねが、京都という歴史をつくってきたのかもしれません。
茂山 稽古は厳しいけれど、やはり自分はこの世界がとても好きですし、お客様に心から笑って楽しんでいただくことで、さらに芸を深めていくことができるのだと思います。

茂山逸平 1979年、二世茂山七五三の次男として生まれる。父および祖父四世茂山千作、曾祖父三世茂山千作に師事。'83『業平餅』の童で初舞台。国内外での狂言舞台にとどまらず、映画やテレビへの出演、また兄宗彦と共に、新作二人芝居に挑戦するなど幅広く活躍する。著書に『茂山宗彦・茂山逸平と狂言へ行こう』(旬報社)がある。

ダイナーズクラブイベント
京都吉兆嵐山本店 会食会 9月24日(土)吉兆嵐山本店のお座敷で茂山逸平氏の狂言を鑑賞、吉兆の料理を楽しむ会食会が開催されます。狂言の笑い方や謡など、逸平氏による楽しいレクチャーを交えた、京の”をかし”をたっぷりとご賞味ください。 ※詳しくはこちら

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