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茶の湯のデザイン

伝統の食文化を受け継ぎながらも新たな味の創造に意欲的な徳岡邦夫さんは、日本はもちろん、世界の食通からも注目される料理人。重要な茶会で懐石を任されるばかりでなく、自ら亭主となって茶会茶事を行うこともある。

若い頃の彼は、料理の世界はおろか茶の湯に対しても特別な興味を持っていなかった。高校を卒業後ミュージシャンになりたいと主張、猛反対にあう。しかし、この苦悩の日々が徳岡さんの人生に新たな1ページをもたらした。「家を出て禅寺に身を寄せるうち、なぜ僕は人が困ることをするのか、と思った。人はひとりで生きているのではない。関係の中で生かされているのだ。家族を悲しませてまでやることに、果たしてどれだけの価値があるのか、と」

茶の湯のデザイン

家に戻り、料理人としての道を歩き始めることを決意。そして、どうせやるならば祖父・湯木貞一のようになりたいと思った。祖父に近づくためにも必要だったのが、茶の湯であった。

吉兆の創業者である湯木貞一氏は茶人としても知られ、彼の茶席には日本の明日を担う経済人たちが集まった。そうした人々との交流が、祖父に一流の仕事をさせたかったのではなかったか。徳岡さんは、そう気づく。「茶の湯は、もてなす人と客との関係の中で成立する世界。何を、どう組み合わせたら喜んでもらえるのか。そのことを真剣に考えて客と向かい合うことは料理の基本にも通じる。また、茶室で向かい合う緊張感が、他人と自分の境界線を越えさせるのです」

エッジ・エフェクト。以前、ヨーヨー・マ氏と対談したときに彼が盛んに使ったこの言葉が、忘れられない。「クリエイターに必要なのは、人やモノに交わることで自分の限界や境界線を超えていくこと、と彼は言っていた。茶の湯は高度な文化と芸術の上に成り立っている。そこに集う人と人、あるいは人とモノとの交流は、僕にとってのエッジ・エフェクト。その経験が、思考の境界線をも取り払ってくれる」

和洋の素材と技術を超えて融合した味は、境界を超える試みのひとつだ。「旨みのもとのグルタミン酸とイノシン酸。和洋、素材は異なっても味の方程式は同じなのではないか、その発送から生まれたのが『お肉の昆布締め』や『邦夫たまご』などの料理です」

徳岡さんは、茶事においても、バカラなどの洋の器も取り合わせている。「千家にしても樂家にしても、3代目がエッジ・エフェクトしたことで受け継がれてきた。吉兆が未来の必然となるためには、僕にも必要なこと」

心の奥には、3代目を担う重責がある。そこに向き合うための大事な鍵を、茶の湯が示している。

京都吉兆嵐山本店にある「酉庵」にて。湯木貞一氏が米寿を迎え、お世話になった人々を招くために、表千家の祖堂を写して創られた。ここで亭主を務める日は、身も心も引き締まる。

【徳岡邦夫】
● 1960年生まれ。「吉兆」の創業者、湯木貞一氏の孫にあたる。15歳のときに京都吉兆嵐山本店で修行を始め、95年から料理長に就任。世界的な食のイベントに招かれてイタリアやスペインを訪問するなど、国境を越えて活動中。

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