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「ミルクティーが好きなのは、僕とおとん、一緒なんです」。19歳の青年は恥ずかしそうに言った。切れ長の目に、父徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=の面影が見える。06年夏。徳岡の長男、一喜に話を聞いた。当時、同志社大1年生。広い嵐山本店の座敷き、緊張の色を表情に張り付けたまま、青年は語り出した。
料理に興味は?
「興味は・・・あります。暇な時は調理場で野菜の切り方とか教わったこともあります」(06年)5月に清滝でのパーティーで初めてお客さんの前に立った。
「めっちゃ緊張しました。有名な人がたくさんおられて。高校の時から、店の庭掃除ぐらいはしてたけど、お客さまの前に立つのは初めてでしたから」
テニスサークルに所属、日焼けした顔でとつとつと語る。流れるように語る父と対照的だ。「お父さんはどんな人?」と聞くと考え込んだ。
「こんなでかい店を切り盛りしてるんだから、すごいと思います」
続けて「お父さんとの思いでは?」と聞くと、更に考え込んだ。
「小さいころから別々に暮らしてきたんで、あまり接点がないんです。あ、小学校の時は朝、市場に行くおとんに学校まで送ってもらってました」
話を聞いたのは、ちょうど徳岡を取り上げたテレビ番組の放映直後だった。感想を聞くと、語り口の“温度”が微妙に上がった。
「テレビ見て、大変な仕事やなあって、改めて思いました。でも体大事にしてほしいです。自分のこといたわってほしいし、やせて健康になってほしい。しんどそうなのが見ててつらい」
「父親と同じ道に進む気持ちはある?」30分ほどの対話の最後にそう聞いた。
「大学にいる間は悩みます。ほかにやりたいことができるかも知れないし。でも決まるかなあ、4年間で・・・」。そして最後に、独り言のようにつぶやいた。「プレッシャーでかいなあ・・・」
1年後、もう一度思いを聞いた。直前には徳岡のインド出張に同行し、その姿がテレビで放送された。
「まだ進路は決めてません。インドも旅行のつもりだったし」
口調は同じ。「サラリーマンになってみたいです。家族と一緒に平穏な暮らしをしてみたい」「僕は目立つのが苦手だから、いろんなメディアで活躍してるおとんはマジですごいと思います」。落ち着いた声で語る。そして「焦ってはないです。どんなに忙しい仕事についてもやっていく自信はあるし。うちより忙しい家はそんなにないですから」と言って小さく笑った。
「でも吉兆に入るなら、料理をして、料理人の気持ちが分らないとあかんでしょうね。まだ踏み込むのは恐いんですけど」
「何も変わっていない」と言うせりふとは裏腹に、応える口調は明らかに力強くなった。そして青年はこの春、大学3年生になった。

=敬称略、つづく
 
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