「青山会」のことを書くにあたって、まず臨済宗・妙心寺派龍安寺の塔頭、大珠院のご住職、盛永宗興老師をご紹介させていただきます。 この方は妙心寺派副官長も務められ、ゆくゆくは官長へとの声も高い方でいらっしゃいましたが、残念ながら平成七年遷化されました。 私ども「吉兆」創業者湯木貞一にも影響を与え、われわれ「青山会」会員の人生観をも変えた方でいらっしゃいます。 「青山会」は老師の発案により、貞一翁の意志・感性・茶心を後生に伝えるために精進するよう、三代目の皆が一丸となり開いた会で、平成元年から毎年一回、例外なく開催しております。 メンバーは、白吉兆翁の孫十人とその伴侶・子供です。 今回は数人の伴侶・子供と高麗橋店の湯木潤治夫妻、湯木康之夫妻が多忙のため欠席しておりますが、「青山会」のカテゴリー別小委員会では、楽しく丁々発止しているすばらしい仲間です。 会の名前は、「青山元不動白雲おのずと去来す」という禅語に由来するもので、名付け親はもちろん老師であります。 私的な解釈では「そこにある山は、白い雲がかかったり、秋には紅葉で赤く色づいたり、春は桜が咲き、冬は雪が降り、装いは変わるのだが根本の山は微動だにしていない」という意味と考えており、ファミリーの団結力を増し、会の目的に向かって努力するように、という意味で名付けていただいたと思っております。 そのお気持ちにそえるよう、会では会員が交代で幹事を務め、当番の会員の店舗で会食し、そのサービス全体を批評するという会則をもって、より多くの方々に喜んでいただける「空間」「サービス」「料理」を提供させていただけるように、一同、一歩一歩着実に前進しております。 一方、毎回特別ゲストをご招待して、これからの世界の動きをふまえたご指導・ご鞭撻を頂いております。 そして今後、会員も四代・五代・十代・二十代と時代を数えるにあたって、ただの懇親会だけにとどまらず、よりよいバランスのギブ・アンド・テイクが続くような会則を、湯木貞一を知る三代目の私たちが「今」作らなくてはいけないという使命感により、会則委員会も発足いたしました。 この会則のもと、研鑚し食の文化を今一度見直し、食材・食糧から見た環境問題、教育問題にも取り組み、社会に貢献できればと思っております。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
(徳岡邦夫 記)
財界 ゆかいな仲間「青山会」 1999年年11月9日号