いかがなものだろうか。
もちろん宴席は、一生のうちおそらくもう二度と飲む機会が訪れることはないであろう稀覯なワインを目の当たりにして、 興奮が支配していた。 実際、厳重な保管のもと、50年もの眠りから覚めたワインは完璧な熟成を示していた。 しかし、私の個人的な結論を先に言えば、このデュエルは、すばらしいワインを際だたせるために、 後方へ一歩引き下がったかに見えた徳岡の料理の剣先が、あたかも前もってそのリーチの航跡が計算されていたように、 私たちの味蕾をほんのわずかな深度で切り裂きながら通り過ぎたという点で、吉兆の勝利となったのではないか、という事だ。 そしてここにはワインと不即不離の関係にある肉食文明に対する一種のアンチテーゼが含まれていた、という点でも。 そもそも、今回の対決は、先にリストが示されるという具合にワインに先手をとられていた。 これに対して、徳岡は、 決してワインに迎合することなく、あくまでも、和食の流れに極めて忠実でありながら、意識的にか非意識的にかは定かではないが、 ワインの定説に対してある種の異議を申し立てたように思える。
たとえば、最初にだされた小鉢には梅が使われており、 酸味を禁忌とするワインのセオリーに反する。 しかし、初発のわずかな酸味は私たちの食欲を間違いなく刺激し、 次の展開を鼓舞していた。 つまり、彼の流れは生理学のセオリーには忠実なのである。 しかも、ここで、重要なことは、 その異議申し立てが、ほんの小さな小鉢によって一瞬、微分的に行われていたということである。 そして、これは懐石料理でしか行い得ないような、食のナノ・テクノロジーでもあるのだ。
さらに、次のようなこともいえる。 あとからグリフィス氏が私の問いに答えて語ったことだが、感想を求められた彼は即座に 「もっと肉がほしかった、少なくとももう一品」といった。 このワインリストにあるような赤が3本くれば、肉、肉、チーズと来て欲しい、と。 そして、一番印象に残った料理といえば最後のご飯物に載せられた牛肉であると。 肉食民族の率直な吐露である。 しかし、彼らもおそらく翌朝には、不思議な爽快感とともに、ここには極めた新しい試みが含まれていたことに気づくはずだ。 ワインに阿(おもね)て何百グラムもの重厚なステーキを提示する事はある意味簡単である。 しかし、どんなにすばらしい肉であっても、 55年のマルゴーに「勝つ」ことはできないのだ。 第一、ヒトに必要なタンパク質量は一日たった数十グラムなのである。 過剰のタンパク摂取は体温上昇など不必要な不快反応を引き起こしさえする。 徳岡の料理は、代わりに、季節の野菜や魚、 卵などを使って、巧みに、並み居るワインたちと実に軽快なダンスを踊って見せた。
47年Chateau Lafiteは、空気酸化に対してきわめて脆弱なため、飲む直前に抜栓がなされ、澱を除くためデカンタされ供された。 徳岡はその澱を使って、温泉たまごのソースを作ったのだ。彼は前もってこのタイミングを計算してメニューを考えていたのだろうか。 しかし、たとえそうだとしても、50年以上もの年月を経過したワインの澱の味をどうやって想定することができたのだろう。 万一、それがとんでもないものだったらどうするつもりだったのか。できるならそんなことを彼に聞いてみたい。 海の幸を少量ずつ盛り付けた八寸には、さりげなくチーズが添えてあったし、最後の果物のシロップにもポートワインが使われていた。 これらはみんな意図的なのだろうか。このように、食べ手のイマジネーションを、そのプロセスの隅々にまでいざなう力と時間を もたらすその物こそが真の意味の「スローフード」だと私は思う。 私は、イギリスから来たワイン商たちにそれとなくそのことに触れてみた。 イギリスを中心として広まっている狂牛病や口蹄疫と食肉の危機。 これらの諸問題は、ワインと肉食に代表される食文化に端的な形で 再考を迫っている。 京都、嵐山吉兆の料理はまぎれもなくその相克に対するアウフヘーベンになっていたように思えるのだ。
ソトコト 「ワインVS吉兆の対決に、西欧肉食文明の限界を見た」 2001年年6月1日発行