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 吉兆知らず、という人、それはまずい。「世界の吉兆」と言われるだけあり、政界、財界、文化人はもとより皇族、さらには英国バッキンガム宮殿からチャールズ皇太子が客人ともなると、話はやはり日本だけというわけにはいかない。
 徳岡氏語るところ吉兆よもやま話。以下とっくりとお読みいただきましょう。

----- 吉兆さんというと、いろいろ話がありすぎて何からお聞きしていいのかわかりませんが、湯木さんのことからお聞かせください。

徳岡 そうですか。

----- 食べ物の世界にいらっしゃる方にとって、お父様であられる湯木貞一さんという方は神様みたいな方ですよね。

徳岡 いやあ、もう僕らいまでもそう思うてます。

----- お亡くなりになって、まだ・・・。

徳岡 四年目。

----- ご葬儀、簡素でいてそれですばらしいご葬儀だったと伺いました。

徳岡 はい。僕がプロデュースさせてもらいました。写真の両脇に古銅の花入れ持ってきて。京都から花も運んだんです。

----- そうですか。

徳岡 御上から祭祀料いただきましてね。

----- まあ、御上から。ちょっとないことですよ普通は。

徳岡 「天皇陛下」って書いてあるのが二枚入ってたんです。それを写真の正面に飾らせてもらって。それで三笠宮さまと高松宮さまと常陸宮さま・・・。それに橋本総理の四つの花を飾らせてもらったんです。

----- そうなんですか。九十五歳までご存命だったんですよね。

徳岡 九十五歳十一ヶ月です。

----- お亡くなりになったのは、確か四月と。

徳岡 四月七日です。五月が誕生日ですけどね。それで、「ねがわくば花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月のころ」って西行法師の辞世の句なんです。私もこんな風に死にたいなぁ言うておられましたら、ちょうど嵐山の花が満開の時に・・・。

----- 亡くなられたんですか。

徳岡 亡くなる前に嵐山の桜の写真撮って持っていって見てもらいました。喜んでくれました。

----- 亡くなられる前の年に、知人が今度湯木さんと徳島へご一緒するから、連れてったげる言うて、二度とそんなことはありえないのでもう楽しみにしてたんです。

徳岡 ああ、そうですか。

----- 残念でね・・・、翌年お亡くなりになりはったんで。もう幻の旅行だったんですよ。

Great Hotels 吉兆よもやま話 徳岡孝二 2002年5・6月号

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