昭和5年、日本を代表する料理店『吉兆』が大阪、新町に誕生した。当主は湯木貞一氏。後年日本料理界のカリスマ的存在となる人物である。湯木氏は昭和14年に『吉兆』を株式会社化したり、ホテル内にテナントとして出店するなど、従前の価値観にとらわれず新たな挑戦を続けた。一代にして、ここまで日本料理店のあり方を変えた料理人はいないだろう。 湯木氏は高麗橋本店を旗艦店とし、大阪、京都、神戸、東京と料理店を広げていったが、平成9年に逝去。後継者たちは『吉兆』ブランドは知的所有権であるという思想の下、平成3年、11の法人組織を持つに至った。株式会社吉兆は全店のホールディングカンパニーという位置づけで、知的所有権を管理する。また株式会社吉兆が100%株式所有するキクコーポレーションとユキカンパニー京都、船場、神戸、東京は土地の管理。そして湯木氏の5人の子どもたちが、株式会社吉兆とカンパニーから名前と土地を借りる形で、料理店営業会社を運営している。それが㈱本吉兆、㈱京都吉兆、㈱船場吉兆、㈱東京吉兆、㈱神戸吉兆の5つの法人組織だ。これにより各店の機動性、地域性、独自性を確保することができた。同時に料理業以外の業態開発にその名前を 使うことは許されないなど、グループの知的所有権は厳然と定められている。守るべきところはしっかり守り、その他は各々柔軟に対応する。独自性や合理性を尊ぶ関西気質が生んだ、見事な戦略といえる。 『吉兆京都本店 嵐山店』の料理長にして三代目・徳岡邦夫さんは「『吉兆』に大切なのは三つのザイ、人材、食材、存在価値だと祖父から学びました」と話し、「会社組織は別でもファミリーとしての結束を強め、湯木の精神を次世代に伝えていこうと毎年、親族で会を催しています」と語る。 徳岡さんは平成16年秋、イタリアで料理を披露、17年1月にも海外の料理フェアに参加するなど、日本料理の発展に寄与する仕事も多い。それができるのも拠って立つ基盤が盤石だからこそなのだろう。「世界の名物、日本料理」と初代が名言した言葉が21世紀の今、確実なものとなってきた。
あまから手帖 「関西味の遺産」 2005年1月号