京都らしさを味わうなら、何はともあれ和食である。 いま光彩を放つのは、伝統と革新が共存する店だ。 さあ、美味しく新しい「和」を感じに出かけよう。
日本最高峰と誉れ高い料亭「吉兆」。その総本山である嵐山本店の、風格ある数寄屋造りの建物を前にすれば、緊張しないほうが無理というもの。(写真/スタッフの若々しい感性も吉兆の財産だ。真ん中は徳岡さんと女将。修行にやって来たスペイン人の姿も。 ) ところが、である。たっぷり3時間のあいだ、なんともいえずリラックスして幸せな気持ちで過ごせたことに驚いた。料理、空間のしつらい、もてなし、すべてが和の伝統を感じさせつつも、枠にとらわれない伸びやかさで魅了するのだ。伝統と格式を誇る老舗は、最高にヌーヴェルな店でもあった。 肉と昆布〆という新発想。 「コースを組み立てるときは、まず必然性を考えます。ベースは茶懐石ですが、室町期に発祥した料理が現代も残っているのは、必然を求めて試行錯誤を重ねてきたから。私もそうした意義のあるものを作っていきたいですね」 にこやかに語るのは、店を率いる若主人、徳岡邦夫さん。この”必然”が、吉兆のヌーヴェルさを象徴する言葉かもしれない。それぞれの必然に応じて、吉兆の料理は千変万化する。
下右)金の上に紙を貼り、銀で波を描いた天井。波には火事除けの意味が。 下左)600坪という広大な敷地に、建物が点在している。
百聞は一見にしかず。ひとたび味わってみれば、いかに吉兆が伝統を守りつつ巧みに革新を取り入れ”いま”の必然性を提案しているかが明白だ。甲殻類のスープ”ビスク”を変形した「いせ海老小茶碗」、フォンドボーを添えた「焼野菜 肉出汁」など、目も舌もうれしい驚きを感じるものばかり。圧巻はカルパッチョを思わせる「肉昆布〆」。牛肉のコクと昆布の風味が溶け合い、すぐに飲み込みたくないほどの旨みに陶然! 「昆布と鰹のだしがもたらす”旨み”は、日本独特のもの。でも実は、チーズと肉の組み合わせなど、欧米にも同様の旨みがあったんです。それに気づいたら、肉と昆布で旨みのたすきがけをしてみよう!と思って。」なんとも柔軟な発想に脱帽だ。 驚いたのは、新しい料理ができたらスタッフ全員で評論会をするということ。皆の若々しい感性が、新しい発想をより活性化させるのだ。
-上段- 右)向附のかに霜作り。昆布だしにさっとくぐらせてあり、ぷるんとした食感も風味も最高。 中)フカヒレ丼。土鍋で供される。濃厚な香ばしさをショウガ汁が爽やかに引き締める。 左)いせ海老小茶碗 いせ焼霜。バターや小麦粉ではなく、米を使いさっぱりととろみ付け。 -下段- 右)かに焼豆腐 みそ三色椀。大根おろしとゆずと蟹味噌が、絶妙のハーモニーを奏でる。 中)福石焼。ふぐをさっと石焼きし、ピリ辛のあん肝ダレでいただく。目にも華やかだ。 左)焼野菜 肉出汁。魯山人の器に惜しげもなく盛られている。フォンドボーのコクが絶品。
コースの途中で客の意向が変われば、その後の献立も臨機応変に変化するというから、さらに驚く。料理が重たいと感じる人もいれば、突然ワインが飲みたくなる人もいるだろう。その意向をあうんの呼吸で感じ取って厨房との橋渡しをするのが、女将や仲居さんである。この対応が、すこぶる快い。緊張感をふわりと解きほぐし、伸び伸びとくつろがせてくれるのだ。「料理以前に、人と人とのつながりが一番大事」という徳岡さんの思いの表れである。スタッフは皆若いが、マニュアルでは望めないこの自然な気遣いこそ、和のこころではないだろうか。そう思うと、料理もしつらいももてなしも、すべてがつながっていることに気づく。 和のこころを備えつつ、形式にとらわれない挑戦を続けることで、日本屈指の料亭は日々進化しているのだ。
pen_ates 「ヌーヴェル京都」 2005年12月ISSUE02号