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家業を継ぐつもりはなかった
今回は新春にふさわしく、「食」の持つ力をより多くの人に伝えたいと、日本料理の伝統の中にも日々新しい工夫を続けておられる、日本有数の料亭、京都「吉兆」嵐山本店の総料理長、徳岡邦夫さんにお話を伺いました。聞き手は、全国学校栄養士協議会京都府支部長の東田正栄さんです。
家業を継ぐつもりはなかった

東田:今までは西洋料理、イタリア料理、和食とかの分類で対談をお願いしてまいりましたが、今回は京料理を中心に、料理の
心ということでお願いできればと思います。先生は「吉兆」のお孫さんとしてお生まれになりましたが、家業を継ごうと決められたのには、何かきっかけがおありだったのでしょうか。

徳岡:私自身は継ぐつもりはなかったのですね。反対に継ぐのはいやだったと言ったほうがいいと思います。進路を決めたのは20歳のときで、高校を卒業するときに軽音楽のバンドをしていまして、そのままプロミュージシャンになりたいと思って家族に言いましたら大反対されました。その反対の理由が、そのような不安定な仕事にはつかせないと。やくざの仕事と言われたのです。何となく理屈で説明したのですが、親としては許してくれないので、納得してもらうために、小学校4年から行っていた禅宗のお坊さんのところへ相談に行きました。小学校4年生のときから、そのお寺に泊まり込みに行っていたので、そのお坊さんは小学校4年生の目線で聞いてくれるし、言葉を選んで話してくれる人なので、僕自身の今の気持ちをフラットに聞いてもらえるのではないかと。その老師は、一言も発しないでわかってくれました。しばらくここにいなさいという話になり、風呂場の責任者をしなさいと、風呂場に連れて行かれました。風呂場の仏様に挨拶ということで頭を下げ回向をして、その後いきなり髪の毛を剃られ、作務衣を着てお坊さんになってしばらくその生活をしました。 ある時、薪を割っていて、なんでおれは薪を割っているのだと思いながら、涙が止まらなくなったり、暗いうちに起きて本堂でお参りして、寒いのを我慢して座禅を組んでいると、頭の中がボーッとしてきて、山裾から太陽が昇ってくるようなイメージの体験をしたのです。そのような経験をしている中で、ふと思ったのですが、なぜ家族が嫌がることをしようとしているのかなと。家族のいやがることをしていることで自分自身もつらい思いをしている、何か違うなと。みんなが喜ぶことをしたほうがよいのではないかと思ったのです。料理人になるのなら世界一になりたい、それにはどうすればよいか、との発想に変わっていったのです。

栄養教諭 料理の心-心と身体をつくる食文化 冬第6号

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