日本人が誇る街「京都」。建都1200年の古都ながら、訪れる度に新しい表情を見せてくれる。その歴史の重みに加えて、独特の美意識に裏付けられた食と宿の奥深さ。大文字五山の送り火が絶え、いよいよ秋に移り変わる京都。誰しも一度は行きたいあの名店を訪い、守り継がれた京都の真髄を再見してみたい。
25畳の東屋(写真)から4畳の座敷まで10部屋のみの落ち着いた佇まい。季節に沿った設えに身をおくと、心身供に清々しく心和む思いだ。秋も深まると簾は障子や襖に衣替えとなる。
日本料理の代名詞「嵐山 吉兆」三代目、徳岡邦夫氏の真骨頂はインタラクティブなもてなしである。それは創業者、湯木貞一の仕事に回帰するものだ。
「湯木貞一は日本料理の革命者として、腕に秀でていたに違いありませんが、昭和5年大阪に開業した小さな割烹から昭和14年に株式会社化、昭和36年には銀座へ出店し、ここまできた。料理屋の親父にそんな事務方の手腕はない。湯木を引き立てたのは、当時の日本の錚々たる名士でしたが、利休と秀吉のような信服の関係の証だと思います。それを築いたのは、湯木の人間的な魅力もさることながら、カウンター越しにお客様の気持ちや要望を汲みながら期待に応え、また客人ももてなされ方を心得た双方向の対話だったのではないかと考えるのです」と、徳岡氏は吉兆の根源を今に実現する。
その店の水準がわかるという煮物椀を二品目でふるまい、まずは吉兆伝統の味を披露する。その後、客人一人ひとりに対して"さあ、次のお料理はどうされますか"という問いかけで宴の幕が上がるのである。
「これからがうちの料理です、と一方的に出して喜ばれる時代ではない。まずは吉兆の味の要になる煮物椀をお出しする。空腹の頃合いも良くなったところで、それぞれの希望をお伺いします。お客様、座敷担当者、厨房がやり取りしながら、できる限り各人の満足のいくものをお出しするように努めています」
料理こそ一期一会。変える勇気と変えない勇気に「吉兆」は邁進している。
Lapita 京都 名店を訪う 2006年No.2