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いまここで必要な存在になる
―様々な改革の芽が出始めたのはいつ頃ですか。
徳岡 2000年に入ってから数字に結びついてきました。だから着手して結果が出るまで10年近くかかったわけです。
―その間の原動力は一体何だったのでしょうか。
徳岡 やっぱり湯木貞一への思いも強かったし、何より一緒に働いていた仲間ですね。僕らが若い頃というのは、年上の料理人たちにまるで奴隷のように扱われていました。それでも懸命に努力しているのに、業績が悪い。何なんだ、これはって。健全に努力している人が報われる組織にしたかったというのが、一番の原点の思いだったような気がします。
 しかし、順調に業績を回復してきたところで、2007年の船場吉兆事件が起きました。別会社ですが、お客様にしてみれば同じ「吉兆」ですから、勘違いされて「死んでお詫びしろ」「店を閉めろ」と罵詈雑言の電話が鳴り止みませんでした。当然、業績にも影響が出て、贈答品は通年の10分の1にまで落ち込みました。
 一方、本店は常連の皆様が応援の意味を込めてこれまで以上に使ってくださり、通常より2割程度売り上げは伸びました。あの時期、京都吉兆が持ちこたえられたのは応援してくださるお客様があったからです。  前後して鳥インフルエンザ、リーマンショックと立て続けに大きな打撃を受けたこともあって、この危機を乗り切るべく、経営陣の若返りを兼ねて私か社長に就任いたしました。
―さらに変化の激しい時代に京都吉兆の舵取りを任された。
徳岡 そういうことです。世の中に必要のないものは淘汰される。1990年に私か実感したこの感覚は、どんなに時代が変わっても変わらない普遍の真理、宇宙の摂理だと思います。
 たぶんそれは個人も同じで、組織に必要のない人は淘汰されるか、自分から離れていきます。だから、いつも社員の皆さんには「必要とされる人を目指すことが大切だ」と言っています。吉兆という組織、そして世の中から必要とされる人になる。そういう人たちが集まっていれば、吉兆もまたお客様に必要とされ続けるはずです。
 伝統を守る、暖簾を守るというのも、結局は変化に適応し、いまここで必要とされていなければできないことです。私自身も京都吉兆の社長として、仲間に、そして世の中に必要とされる存在であり続けるよう自己を研讃していかなければと心しているところです。

雑誌名:致知 2月号 40~43ページ / 刊行元:致知出版社

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