MEDIA メディア
絶えず自分を壊すことで新しい発想が浮かぶ
高級料亭の代名詞的存在として知られる吉兆。なかでも京都吉兆・嵐山本店は、日本を代表する景勝地において国内外の要人を数多くもてなしてきた。その格式ある店を現在率いるのが、社長兼総料理長である徳岡邦夫氏。海外からも数多くのオファーを受ける徳岡氏に、料理を通じた"一流の条件"についてうかがった。
一流の料理人は「一徹」ではない

--徳岡さんはイベントで海外の名だたるシェフたちと腕前を競われる機会も多いとうかがいました。そうした一流の料理人の方々に共通する資質はあるのでしょうか。
徳岡 みな個性はそれぞれなのですが、強いていえば好奇心が強いところでしょうか。遊びや料理以外の活動にも活発な人が多い気がしますね。
--包丁一徹、始終料理のことを考えているわけではないんですか?
徳岡 そんなことあるわけないですよ(笑)。むしろ、仕事を離れたら料理のことを忘れるようにしないと。考えすぎると頭が固くなって、それを変えることができなくなってしまう。それでは新しいものをつくることはできません。料理人にとって料理のことを考えるのは当たり前のことですから、それを無理にでも頭から引っぺがしたほうがいい。そうすると、かえって新しい料理のアイデアがふと浮かんでくるときがあるんですよ。
アイデアという点では、ギリギリまで考えない、という方法もあると思いますね。たとえば、新しいメニューを考える必要がある場合、前もって考えるのではなくて、あえて締め切り直前まで考えないで自分を追い込んだほうが斬新なものが思い浮かぶんです。もちろん、材料の手配や下準備に必要な時間は確保しますが、そういったことがきちんとできていれば、メニューを考えるのはお客様がお越しになる二時間前、という場合もあります。何もしないで放置しておくのは無謀だけれど、きっちりと段取りをしたうえで自分を追い込む、というのは一つの方法だと思います。これはあくまで僕のやり方ですが、海外で活躍するシェフたちも、そういった自分なりの方法論をもっていると思いますね。
--徳岡さんはそのように、ご自身の考えや取り組みをメディアで積極的に発表なさっていますね。
徳岡 いい料理をつくってさえいれば、何もしないでもお客様にきていただけるという時代ではないですから。二〇〇七年にはグループ会社の船場吉兆の不祥事がありましたし、二〇〇八年の金融危機も経営に大きな影響がありました。そんな厳しい状況だからこそ、自分がどんな考え方で料理と向き合っているのかを積極的に発信していかなければならないと思っています。
かといって、たんなるPRが目的というわけではありません。料理を通してみえてくる社会の問題を解決したいという気持ちもあるんです。
--と、いうと。
徳岡 たとえば、おいしい料理には、いい食材が欠かせませんが、多くの農家や漁師の方々が、収入の不安定さや後継者不足などの問題に悩まされています。それをこのまま放置しておけば、この国の第一次産業は取り返しのつかない状態になって、料理人がいくら腕を振るおうにも満足のいくものはできなくなってしまうでしょう。僕が第一次産業の改善や地域ブランドの活性化について意見を述べたり、それをメディアで発表したりするのは、そうした危機感があるからです。
僕がメディアに登場することに対する風当たりを感じることはあります。でも自分がやっていることに自信があるのであれば、それを正しく伝えていくことも、吉兆という看板を次の世代に受け継いでいくための責任だと思っているんです。
僕が思うに「一流」というのは、世の中にいい影響を与えられる存在のことだと思います。お金や地位などではなくて、その人やモノ、あるいは組織の存在が、たくさんの〝いい流れ〟を産み出すのが「一流」ということではないでしょうか。ですから、自分と店が一流をめざすなら、食に関係する問題に積極的に関わっていく必要があるんです。そして、お客様にもスタッフにも生産者の人たちにも食の喜びを伝えたいし、僕自身もそれを感じたいと願っているんです。

雑誌名:THE21 2009年11月号_64〜66P / 刊行元:PHP研究所

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