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技術よりも信頼が〝一流〟たる証だ

--徳岡さんのご祖父・湯木貞一さんは吉兆の創業者で、料理界で初めて文化功労賞を受賞された方。その湯木さんから、徳岡さんはどんな影響を受けたのですか。
徳岡 祖父ではあっても、私が普通に「おじいちゃん」と甘えられるような存在ではなかったですね。
いまでも、調理場にいる祖父の姿が目に浮かびます。調理場全体が見渡せるようにと、調理台の上に座布団を置くんです。そこに正座をして弟子たちがつくった料理の味を確かめる。その様子には鬼気迫る真剣さがありました。それを思うと、僕にとっての湯木貞一は、祖父というより、料理人としての自分が基準とすべき存在、というほうが近い気がしますね。
--徳岡さんは、湯木貞一さんのとくにどんなところが〝一流〟だったと思いますか。
徳岡 僕が祖父から教わった言葉のなかに、「工夫して心くだくる思いには花鳥風月みな料理なり」という言葉があります。荒波が岩に当たるように心が砕けようとも、工夫することを怠ってはいけない。そういう思いで臨めば、そこには必ず人と人との関係が生まれる。それこそが料理なのだと教えられました。そうした料理を追究することへの純真さを生涯失わない人でした。だからこそ、好奇心が大切だと思うのです。
それから忘れてはならないのが、吉兆を会社組織にしたことでしょう。吉兆が株式会社になったのは、戦前の一九三九年のことです。創業から十年も経っていませんから、その時期の祖父には知識も資金もなかったと思います。ではなぜ株式会社化が可能だったかといえば、常連のお客様方が助けてくださったんですね。身内の僕がいうのはおかしなことかもしれませんが、湯木貞一が何より一流であったのは、料理の技術や工夫はもちろんのこと、それによってたくさんの方々と信頼関係を築いていた、ということではないかと思いますね。

雑誌名:THE21 2009年11月号_64〜66P / 刊行元:PHP研究所

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