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「いまあるものを自分から壊して変えていくことによってこそ、大切なものを受け継いでいくことも可能になると思うのです」
積極的に変えることで受け継ぐことができる

--徳岡さんはそんなおじいさんを目標に料理の道に進まれたわけですが、これまでどんなご苦労があったのでしょうか。
徳岡 僕は九五年、三十五歳のときに京都吉兆・嵐山本店の総料理長になったんですが、それは僕が優秀だったからではなくて、前の総料理長や先輩料理人たちが他店に引き抜かれたりグループの店に異動したりして、ほかに適任者がいなかったからなんです。僕以外は全員二十代のメンバーで調理場を切り盛りしていた時期もありました。
そのころはバブル経済崩壊の影響で企業の接待が減り、たくさんの料亭がつぶれていた時期。京都吉兆も例外ではなく、ほんとうに危ないと感じたこともありました。なんとか店を立て直そうと必死でしたね。もう一度原点に立ち返ろうと湯木貞一の料理を勉強し直したのですが、結果につながらない。売上げは下がる一方でした。
--そこでどうされたのですか。
徳岡 悟ったんですよ。僕は湯木貞一をめざしていましたが、湯木貞一になることはできない。だったら自分らしい方法でやるしかない、と。それまでの僕は一人の料理人として腕を磨くことをまず考えていましたが、チームとしていかに成果を出すかに発想を変えたのです。
そのためにまず僕自身がスタッフと共通言語をもてるように、酒の席で話を聞いたり、一緒に遊びにいったりと、仕事以外にもともに過ごす時間を増やすようにしました。そのうえで彼らにも、どういう方向で仕事をすれば店が繁盛して自分もメリットが得られるのかを、しっかり考えてもらうようにしたのです。つまり、僕はスタッフの目線まで降りていくし、彼らには経営者の立場に目線を上げてもらうということ。そうやって組織と個人が同じ方向を向いて進んでいけるようにしたわけです。
社員教育もやり方を見直しました。たとえば、だしの味を決める「煮方」という役割はとても重要で、ベテランが担当をするのがこの世界の常ですが、うちでは若い料理人にもどんどん任せるようにしています。昔の職人は『技術は盗んで身につけろ』といって教えませんでしたが、それは先輩が自分の存在価値を維持するための方便だったのではないかと思いますね。若い料理人だってていねいに教えればきちんとできるようになるし、その経験が人をさらに成長させるんです。最初はパッとしなかった若者が、いつの間にかこちらが驚くくらいの腕をみせることだって、珍しくはありません。
ほかにも、厨房とサービスの連携を緊密にしたり、積極的に求人広告を出していい人材を集めたりと、組織をどう向上させるかに力を注ぎました。その結果、お客様から次第にいい評価をいただけるようになったのです。
--従来のやり方を変えることで反発は受けませんでしたか。
徳岡 それはもちろんありましたよ。しかし、伝統を頑(かたく)なに守ることだけが大切なのではないと思います。それよりも何が大切なものか見極めたうえでその本質を伝えていけるよう、それ以外のものを変えていくことのほうが重要なのではないでしょうか。
『生物と無生物のあいだ』(講談社)で一躍その名を知られた生物学者の福岡伸一先生は、京都大学にいらしたころからの知り合いなのですが、先生の本のなかに「動的平衡」という言葉が出てきます。活発に細胞を入れ替えることによって、生命はその平衡を保っている、という意味です。それと同じように、いまあるものを自分から壊して変えていくことによってこそ、大切なものを受け継いでいくことも可能になると思うのです。

世の中に“いい流れ”を産み出せる人

雑誌名:THE21 2009年11月号_64〜66P / 刊行元:PHP研究所

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