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世界の名物 日本料理

嵐山吉兆の母屋は1868年に建てられ、もともとは個人の別荘だった。創立者の湯木貞一は昭和5年、29歳の時、大阪御鯛茶処吉兆を開店し、昭和23年(1948年)に京都吉兆を開店、昭和36年に東京吉兆を開店、昭和40年に大阪吉兆を開店した時には湯木さんはすでに64歳であった。77歳の時には吉兆の専門書を出版し、その後、紫綬褒章を受賞、日本料理界初の「文化功労者」という称号も受けた。今回の主役である徳岡邦夫は15歳の時に、祖父の湯木貞一が創立した京都嵐山吉兆で修業を始め、35歳で嵐山吉兆を継承、45歳の時、日本代表として国際美食サミットに出席、その他にもイタリアのスローフード協会にも数回招待された。現在50歳の徳岡さんは祖父に継ぎいくつかの書籍を出版している。

音楽家のYOYO MAように、時には何百年に一度の逸材が現れるものである。一般料理と違って、日本最高峰の料理界では何代も経てから、一人のスターが現れることがある。例えば、美山荘の四代目「中東久人」、嵐山吉兆の三代目「徳岡邦夫」、南禅寺瓢亭の十四代目「高橋英一」である。

伝統的な日本料理は伝承を大切にしているが、若い料理人は伝統を保ちながら、自分の考えも表現することにも力を入れている。徳岡邦夫もまさにそうである。
海外での経験もあるためか、純粋な京懐石料理ではなく、新しいスタイルの日本料理でもない。祖父が「世界の名物は日本料理」というアイディアを押し広めたように、徳岡邦夫はイタリア、スペイン、アメリカで開催された料理大会に何回も参加。歴年の経験を積み、作られた料理は国際観が溢れている。

対談の中で、徳岡邦夫はいつも笑顔で自信に満ちていると私は感じていた。彼は、「吉兆は日本料理ですが、京懐石とは違うんですよ。」でも、俵屋は京懐石に属しているのに?差はどこだろう?と私は疑問を感じた。京懐石では牛肉を使ってはいけないが、吉兆は牛肉を使っている。京懐石では京都の野菜を使うことにこだわっているのだが、吉兆はそうではないようだ。徳岡邦夫が京懐石ではなく、日本料理を世界の名物にしたいと語った。一族の伝統は三代目になってもただの形式的な伝統で終わらず、さらに彼は現代人に合った日本の和の雰囲気を表現できる料理を作っている。それこそ老舗が時代に合わせた新たなテーマである。たとえば、違った味を表現するため、徳岡さんはなんと料理の中でオリーブオイルを使った。別に度を越えた事、道から外れた事とは全く感じさせず、西洋の要素を感じる事ができた。「このような結果を出せるのは自分の力だけではなく、みんなの力だ」と徳岡さんは謙虚な口調で語った。でも三代目の革新がなければ、この成功はないだろうと私は思った。

雑誌名:La Vie 4月号/2010 第72期 / 刊行元:麥浩斯 / 語文:繁體中文

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