現在、「待幸亭」の庭には、かつて創業者 湯木貞一が惚れ込んだ、9つの穴が特徴の “九曜星の灯籠” があります。これはかつて、湯木貞一が吉兆開業の頃よりご贔屓にしていただいた道具商・児島嘉助氏の物でした。 湯木貞一は何度も購入をお願いしましたが、児島氏は別邸にこの九曜灯籠を移されたため、当時、湯木貞一の願いは叶いませんでした。
しかし、児島氏が亡くなられた後の1948年(昭和23年)、湯木貞一は同氏のご子息より児島氏の別邸を譲り受けることになりました。その土地こそ児島氏が灯籠を移した場所であり、今の京都吉兆 嵐山本店でした。
以来、この “九曜星の灯籠”は大切に受け継がれ、変わらぬ姿で「待幸亭」の庭に佇んでいます。
「待幸亭」は 1962年(昭和37年)、湯木貞一が松下電器産業の創業者・松下幸之助氏より譲り受けた建物。元々は 150年程前に実業家・染谷寛治氏の別邸として建てられ、松下氏に渡った後、「嵐山吉兆」へ移築されました。
書院造様式であり、寺社仏閣に見られるような、縁側の屋根の角に柱がなく、屋根から梁を釣った造り。くぬぎの “化粧軒裏” や 松の木の一枚板でできた “縁側板” は、現代では再現が難しいと言われており、今でもその構造を残しています。
湯木貞一は、文化価値の高い構造を移築前のまま残し、“襖” “釘隠し” “欄間” などの建具 や “床の間” “天井画” には、座敷としてのこだわりをふんだんに施しました。
例えば、襖には 嵯峨の地にゆかりのある‘小督の局’[こごうのつぼね]にちなんだ「琴柱」[ことじ:琴の弦を支えるもの]をモチーフにした引き手を。
釘隠しには、四季折々の装飾を。こちらは、扇子職人中村松月堂14代・中村清兄の下絵を元に、人間国宝の作家による作品です。
屏障具[へいしょうぐ:部屋の間仕切りや目隠し]として、「待幸亭」の移築時に仕立た “几帳”[きちょう] は、生地は紗[しゃ]でできており、台は 京都の五島正珉によるものです。
湯木貞一は、遠州流茶道の祖・小堀遠州の色紙を飾るにふさわしい部屋として、色紙の歌にちなみ「待幸亭」と名付けました。
― 小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの 御幸待たなむ ―
その名は、天皇がお越しになること=「行幸」を待つ部屋を意味しています。
「待幸亭」は、最高の方、お客様をおもてなしするための、特別で歴史ある一室なのです。