2006.04.03
花が咲いたら誰しもそれを楽しみたいと思う物もの。どん底の貧乏長屋の連中も思いは同じようです。
東京の「長屋の花見」のように家主が音頭を取るのではなく、上方では自主的な発案制のようです。
酒と肴は各自で持ち寄りと決まりましたが、何せ本物には縁のない連中ばかり。集まった物は、酒の代わりに番茶の瓶詰め、茶碗に入れると茶柱が立ったりします。かまぼこには釜底二枚、おからで出来たサワラの子、たくわんの卵焼き・・・・・・・・・。
それでも花は、平等、誰の目にも美しく咲いています。
気を気で養う(互いに気遣い合い、そして作り上げた)花見こそ本当の風流なのかも知れませんね。