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特集日本文化創造プロジェクト嵐山本店 座敷「待幸亭」大改修
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2023.03.03 お知らせ

「待幸亭改修」クラウドファンディング|達成のお礼

昨年12月26日から始まりました「待幸亭クラウドファンディング」ですが、お陰様で目標を上回る額の支援を頂き、2月23日無事終了する事ができました。
皆様の御理解と御協力に深く、深く感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございました。


藤原忠平氏、小倉百人一首 26番「小倉山 峰のもみじ葉 心あれば 今ひとたびの 御幸待たなん」。
始まりは、この歌からです。

平安時代900年頃、藤原忠平氏が「小倉山 峰のもみじ葉 心あれば 今ひとたびの みゆき待たなん」と言う句を、詠み、鎌倉時代1333年頃、藤原定家氏が、その句を百人一首に選び。
1600年頃、小堀遠州がその句をしたため、お軸に仕立てた。
大正の頃、美術商の児島嘉助氏が入手し、嵐山の別邸に倉入れ。

嵐山の別邸とは、
1868年明治元年の頃、嵐山の材木商が、材木の粋を集めて建てた、嵐山にぴったりの数寄屋造りの建物。
大正の頃、児島嘉助氏の手に渡る。
1947年には、児島氏より湯木貞一が、美術品の詰まった蔵ごと、購入する。

別件で、同じく明治元年
1868年の頃に、仮名手本三十六歌仙を所有する数奇者-染谷寛治氏が建てた書院造の別邸を、松下幸之助氏が買い取り、1961年に、書院の座敷と茶室を湯木貞一が譲り受け、嵐山に移築した。
1961年。
児島氏より蔵ごと入手した数寄屋造りばかりの建物の中に書院造造りの建物を移築する際、児島氏より譲り受けた小堀遠州の小倉山のお軸に因んで、御幸を待つ部屋と言う事で、「待幸亭」と名付け、床の壁に、遠州家家紋の七宝文様の唐紙を配し、紅葉が流水で流れた竜田川の様子と結びつけて、天井には、金箔を1面に張り巡らせその上に薄い和紙を張り、その上に尾形光琳の幸白梅図の様な流水を銀箔で仕上げた見所がありながら、落ち着いた部屋に仕立てました。
現在に至るまで、全てが繋がらなくては現存しない奇跡の積み重ねが、深みを産み出しているのだと思います。
そして今回、次の世代へと繋がろうとしています。


待幸亭改修プロジェクトのクラウドファンディングに、共感し御協力、そして多くの御支援を頂き、ありがとうございました。
これからも、日本文化を守り、未来に伝えていく職人さん達を応援する活動を実行してまいります。

お座敷の改修も順調に進み、2月末に全ての改修が完了いたしました。
森田りえ子先生をはじめ、京都の職人の方々の真摯で丁寧な仕事は、情趣に溢れ、その美しさに感動しています。
本当に素晴らしいお部屋になりました。
改めて祖父、湯木貞一の想い、こだわりを読み解く事が出来た様に思います。

今回、クラウドファンディングを実施した事で、沢山の方から支援と共に応援コメントも頂き、とても励まされ、多くの方と共に活動が出来た事を嬉しく思います。
また、京都吉兆として日本文化の核心を追求して、未来へ繋げていく事は使命であると改めて実感しました。

クラウドファンディングはこれにて終了ですが、今後は、支援してくださいました方々に、リターンのお食事の席や返礼品の用意、動画の編集を進めてまいります。
準備出来次第、ご案内、発送をさせて頂きますので、今しばらくお待ちくださいませ。


吉兆は、2030年には創業100年を迎えます。
京都吉兆は、“日本文化の創造”を使命とし、世界や未来の人々に必要とされる存在となる。この言葉を指針に上げています。これを実現する為、日本文化の核心を未来に繋げるプロジェクトは、これからも続きます。
これからも、様々な施策、ご提案をさせて頂きたいと思っています。
皆様のご期待にそえる様に、精進して参りますので、今後とも京都吉兆をよろしくお願い致します。

重ねて皆様の御協力や御支援に心より御礼申し上げます。


京都吉兆 徳岡邦夫

徳岡邦夫

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「京都吉兆 待幸亭改修プロジェクト」詳細に関しましては、下記バナーのリンクページよりご覧くださいませ。



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京都吉兆 文化広報課

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