二〇〇九年十月に発売された『ミシュランガイド京都大阪』で、京都吉兆・嵐山本店は三つ星の評価をいただきました。私はもちろんのこと、もっと喜んでいたのは、うちの女将かもしれません。じつは、私の母が発表の数カ月前に亡くなったのですが、女将は、「義母が元気だったなら、この知らせにどんなに喜んだことか」と泣いていました。その思いは私も同じです。今回の三つ星は、私たち現在のスタッフだけでなく、父や母、さらに創業者の湯木貞一の代から積み上げてきたものが評価されたのだと考えています。 ミシュラン掲載について、賛否両論あることはわかっています。私自身、掲載拒否派としてメディアに採り上げられたこともありました。ただ、真意は違います。たしかにミシュランが日本に上陸した際、吉兆グループとして掲載を辞退したのですが、それは二〇〇七年に発覚した産地偽装などの船場吉兆の不祥事があったからです。私自身はミシュランに対して肯定的で、次にオファーがあったらぜひお受けしたいと考えていました。 ミシュランについて、「外国の基準で日本料理を評価できるのか」という批判もよく耳にします。ただ、いま食の世界もグローバル化が進んでいます。情報や食材が国境を越えて飛び交い、各国の料理がボーダーレスで発展を遂げている状況で、鎖国して国内に籠(こも)ることは果たして正しいのでしょうか。私はグローバル化が進むいまだからこそ、日本料理も世界の土俵に乗って、そのよさを発信するべきだと考えています。 これは料理の世界に限った話ではありません。外部環境が変わるなかで、いま起きつつあることから目を背(そむ)けても、得るものは何もない。それよりも変化を受け入れて、どうすれば自分たちの思いを実現できるのかと考えていく。その姿勢が大切だと思うのです。 ミシュランが百年以上の歴史をもつガイドブックであるということも、私が肯定的に受け止めている理由の一つです。長く継続しているものは、やはりそれだけの価値があります。なぜなら世の中から必要とされていないものは、いずれ淘汰(とうた)される運命にあるからです。その点、ミシュランは戦争による中断を除き、地道に発行を続けてきた。それは善し悪しを超えて、社会がミシュランガイドの必要性を認めてきた証(あかし)でしょう。 どんなに価値が高いと自負していても、社会から不要と判断されたら淘汰される。私がそれを実感したのは、バブル崩壊による影響です。九〇年代に入って日本経済が悪化すると、接待などで使われてきた名だたる料亭が姿を消していきました。京都吉兆も例外ではなく、私が総料理長になった九〇年代前半は、債務超過に陥りました。このときほど継続することの難しさを味わったことはありません。だからこそ、百年以上の歴史をもつミシュランに対して、自然に敬意が湧くのです。 料理界の一部がミシュランに対して慎重な態度を取っているのは、一過性のブームでは、という様子見の気持ちが強いからでしょう。たしかに今後、どうなるのかわかりません。ただ、私の感じるかぎり、彼らは「日本でも百年続けて認められる存在になろう」という思いでやってきている。そうした意気込みは、逆に私たちも見習わなければならないはずです。
雑誌名:THE21 2010年2月号 74〜77P / 刊行元:PHP研究所