では、なぜ多くの店では個別対応をしないのか。それは料理人の腕ではなく、働く人の意識の問題でしょう。従来の料亭では、サービス部門のスタッフがお客様の要望を聞くことも少なかったし、たとえ聞いてきても、厨房は「料理に指図するな」といって対応しないことが普通でした。臨機応変に対応できる腕はもっているのに、厨房とサービス、そしてお客様とのコミュニケーションが断絶しているために、その腕をふるう機会を自ら放棄していたのです。 この意識を変えるために、厨房とサービスで毎日のようにミーティングを重ねました。ミーティングしても、最初は責任のなすりつけ合いになりがちでした。しかし、「自分たちが幸せになるためには何が必要なのか、それはお客様に喜んでいただく以外にないのではないか」と問い続けた結果、お客様に涙が出るようなサービスを提供すれば、それが売上げにつながり、自分たちの存在価値を認めてもらえるのだという意識が徐々に芽生えてきました。ミーティングをやりはじめたのが九三年ごろ、厨房とサービスの一体感が出てお客様のニーズに対応できるようになったのは二〇〇〇年前後のこと。社員の意識が変わるまで、じつに約七年も要したことになります。 粘り強くミーティングを重ねたことで、厨房とサービスのコミュニケーションはほんとうによくなりました。あるとき、外国からのご夫婦が急に来店することになりました。ただ、旦那さんが肉料理しか食べられない。電話をいただいたのは来店三十分前だったので、厨房は大慌てで部材や料理法を変えて肉だけのメニューを考えました。それだけでも十分にご満足いただけたようですが、サービス担当が「野菜でもじゃがいもはお好きだそうです」と聞き出してきて、厨房はさらにメニューに工夫を凝らすことができた。かつてはみられなかった光景です。 いい仕事は、決して一人だけではできません。現場が思いを一つにして積極的にコミュニケーションをとる。それが感涙のサービスへとつながるのです。 今回、ミシュランで三つ星の評価をいただいたのも、現場が一丸となって、お客様一人ひとりのことを思いながら料理を提供するという姿勢が定着した結果でしょう。誤解のないように付け加えると、私たちはミシュランの星を取るために頑張っているわけではありません。ミシュランは、あくまでも物差しの一つ。私たちがつねに気にかけているのは、お客様から星を十いただけるほどのおもてなしができているかどうかなのです。 〈以下、次号〉 (株)京都吉兆代表取締役社長 徳岡邦夫 Kunio Tokuoka 1960年京都府生まれ。「吉兆」の創業者・湯木貞一氏の孫に当たる。15歳のときに京都吉兆・嵐山本店で修業を始め、95年より、京都嵐山吉兆の総料理長として現場を指揮する。ワインメーカーとのコラボレーションや食に関するバーチャル・コミュニティーの設立など、初代の心を受け継ぎながら、時代に即した食への柔軟なアプローチに挑戦しつつ料理の本質を追求し、日本料理に多彩な出合いを演出している。また、京都スローフード協会のオフィシャルアドバイザーも務めるなど、生産者と消費者間のパイプ役を果たしている。海外でも、日本を代表する料理人として広くその名を知られている。 HP:「京都吉兆」http://www.kyoto-kitcho.com/tenpo/index.html
雑誌名:THE21 2010年2月号 74〜77P / 刊行元:PHP研究所