考えてみると、そもそも京都に観光にいらっしゃるお客様は、非日常の空間と時間を求めているような気がします。高い天井のあるお寺や、空まで続く錯覚を覚える借景のお庭。そして、一日二十四時間は変わらないはずなのに、なぜかゆったりと流れているような気がする時間……。こうした非日常を味わいたくて、多くの観光客の方々が京都に足を運びます。 私たちも、お客様が非日常を味わうお手伝いをして、感動の後押しをすればいい。そう考えてまず取り組んだのが、京都弁でした。独特の柔らかみがある京都の言葉は、非日常の演出に大いに貢献するはずですが、じつは、社員の多くは京都の出身ではありません。そこでスタッフに京都弁をマスターしてもらい、お客様により京都らしい雰囲気を味わっていただこうとしたのです。ところが、これが大失敗。やはり生粋の地元育ちでないとイントネーションが微妙に異なり、涙どころか笑いを誘う話し方になってしまいました。 仕方なく、「自分の言葉でいいからゆっくりと話すように」と指導したところ、興味深い現象が起きました。思いがけず数人のお客様が「京都弁は癒(いや)されますね」といって涙ぐんでくださったのです。 社員は、京都弁ではなく自分の言葉でゆっくりと話していただけです。ただ、意識的にゆっくり話そうとすれば、自然に言葉を選んで自分の思いを乗せて話すようになりますし、お客様との会話のやり取りにも余裕が生まれます。日ごろの事務的なやり取りで忙殺されがちなお客様には、それが新鮮に聞こえて、京都弁として心に響いたのでしょう。いつもと違う非日常が感動を呼ぶことは、やはり間違っていなかったのです。 それからは非日常がサービスの重要なテーマの一つになりました。といっても、あざとい演出はむしろ逆効果。あくまでも誠実に演出すれば、それがお客様にとっての非日常になるのです。 FI並みのスピードで過ぎる日常から、散歩をするようにゆっくりとした非日常に接すると、慌ただしくて見逃してきた自分の生活や、人間関係に改めて気づくことがあるようです。あるお客様は食事のあとに携帯電話を取り出して、「なぜか急に、パリにいる娘の声が聞きたくなった」といって電話をかけておられました。そこで親子の絆(きずな)が深まれば、私たちにとってもほんとうに嬉しいことです。これもまた、最高のおもてなしができた証だと考えています。
雑誌名:THE21 2010年2月号 74〜77P / 刊行元:PHP研究所