感涙のサービスのためにもう一つ心がけていたのが、お客様一人ひとりを思いながら料理をつくることです。たとえば八十歳のおばあさまと二十歳のお孫さんが来店されたとします。コースを注文されたなら、まったく同じ料理をお出しするのが普通かもしれません。しかし、八十歳と二十歳では、嗜好(しこう)や身体が心地よいと感じる味が根本的に違うはずです。ご高齢の方なら、オイリーなものよりさっぱりしたものがいいだろうし、歯も弱くなっているかもしれないので、食べやすいように薄く切ってお出ししたほうがいい。材料を薄く切れば盛りつけは変わるし、盛りつけが変われば、それに合う器も変わります。つまり一人ひとりのお客様を思えば、同じ材料と料理法でも、見た目はまったく違った料理になるわけです。 もちろんご高齢でも、スパイシーで歯応えのあるものが好きだというお客様はいらっしゃるでしょう。そうした個別のニーズに対応するには、お客様に好みを直接おうかがいするのがいちばん早い。そこで鍵になるのが、コースの二品目の料理・煮物椀です。煮物椀は水と昆布、カツオ、塩と醤油と具材だけで構成されるシンプルな料理ですが、それだけに料理店の力量が如実に表われるといわれています。いわば料理のベースとなる味なので、その感想をうかがえば、以降の料理にお客様の嗜好を反映させやすい。そこで二品目のあとに、「いかがでしたか?」と必ず聞くことにしています。 濃い味つけがお好みなら、そのあとの料理を濃い目にすることも可能です。そうお伝えすると、多くのお客様が「そんなことができるのか」と驚かれますが、料亭だからといって「これが最高の味です」といって押しつけるのは間違いだと思います。店の都合ではなく、お客様においしいと感じていただける料理こそが、いい料理なのですから。 あらかじめ好みをお尋ねすると、それだけでどのような料理が出てくるのかと期待感が膨らみ、おいしさが増す、というお客様もいらっしゃいます。また嗜好に合わせて味つけを変えた料理を、お客様同士で交換して味の違いを楽しまれるケースもある。お孫さんがおばあさまの料理をつまんで、「こっちも案外いけるね」といって盛り上がっている場面をよく拝見します。料理がおいしいことはもちろんですが、このようにお客様同士のコミュニケーションにひと役買うことも、私たちの考えるおもてなしの一つです。 料理も含めて、世の中には画一的な商品やサービスが溢れています。規格品はつくる側・売る側や選ぶ側にとっても便利ですが、やはりそれでは感動は生まれません。お客様に心から喜んでいただくには、お客様という集団ではなく、一人ひとりのニーズに光を当てることが大切なのです。
雑誌名:THE21 2010年2月号 74〜77P / 刊行元:PHP研究所