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 「懐石料理」との出会い 

 一般的なスペイン人の日本食に対する水準はあまり高くはない。その中で知られている物と言えば、寿司と刺身であり、全ての食材を生ものと結び付けてしまう。私が最初に日本食というものを知ったのは1997年、ED、TE出版、シオノシュウジ、タカギカヨコ著者による、「芸術の日本料理」という本を買ったときである。そして「懐石料理」に出会った。

 1999年、料理学校に通っているときに日本料理を拡張していった。短期間に日本の歴史と食文化について学んだ。懐石料理、精進料理…。2002年、フェラン・アドリアの本を読んだ。そこには彼が日本で食べた懐石料理のレストランでのことが引用してあった。フェラン氏は味覚の純粋さ、そして表現力の美しさに驚かされた。将来、西洋料理は多くの日本食の影響を受けるであろうと書かれていた。そして私はそのレストランが偶然にも「吉兆」であったことを知った。
 スペインでは日本食の料理人は誠実さ、構成力、方法論で大変有名である。特に細かい注意力、鋭い包丁捌きに驚嘆される。私にとって模範としたい一つの段階であり、以前より習得したいと願っていた。

吉兆
 2004年12月第3回マドリッド・フュージョンのプログラムを受け取った。そこには日本で最も優れている懐石料理「吉兆、徳岡邦夫氏」が発表されると記してあった。私は名手のデモンストレーションの日が来るのをしきりに待ち望んだ。マドリッド・フュージョンで初めて「八寸」を見た。そこで全ての歴史とその背景にある哲学に驚かされた。
現在、私は吉兆の事についてはホームページで見ることの出来る情報は知っている。スペインのトップレベルのレストランではたくさんの料理を小さいお皿で提供しているのだが、日本の懐石料理というものは遠い昔よりそのような構成がなされている事にも気が付いた。

ファン・パブロはルイスを選んだ
 ファン・パブロの寛容なスタイル、何年もの間、彼の後に付き、働いた選ばれた数人の人間にだけ3ヶ月間の期間を与える。それは休暇であったり、新しい仕事やステップであったり様々である。2004年「来年はお前の年だ」と言われたときに、日本へ勉強に行くと言う一つの案をあげ始めた。2005年1月19日、その一つの案はきっかけをもった。徳岡氏を始め、吉兆の方々が私たちのレストランに食事に来たのである。日本人ソムリエ小林寛も一緒に働いていた。そこで私は吉兆で自分の夢を現実にしたいと決心した。新しいステップを踏むことが出来ることになり、ファン・パブロを含むこの三人の人間に大変感謝している。

 私はほんとに幸運に恵まれていたと思う。その幸運をありがたく思わなければいけない。自分の研修を出来る限り実りの多いものにするため、今、日本語を勉強している。また、吉兆、懐石、八寸についても学んでいくつもりだ。9月1日に自分の夢がかなうことをしきりに待ち望んでいる。スペインにて。


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