8月17日。九州に接近した台風10号の影響で、空には薄く雲がかかり、サウナのような高湿度の空気が体を包む。
「お、ええ感じで出来てきてますね」。徳岡が畑の畝の間にしゃがみ込む。脇に腰丈ほどの植物。放射状に広がった葉の中央に、五角形の砲弾のような形をした実がなっている。オクラだ。表面を細かい毛が覆い、銀色に輝いて見える。
「もうちょっと雨が降らんとなあ。熱帯のスコールみたいな雨ばっかりで、全然まとまって降らん」。腕組みをしながら長澤源一(53)が応える。右京区太秦で「長澤農園」を営む長澤家じゃ、400年以上続く農家。長澤は十七代目で、太秦と亀岡、八木(南丹市)で野菜を作っている。
足下の畝に小さな雑草が見える。長澤は農薬や化学肥料を全く使わない。徳岡自らの店、京都吉兆嵐山本店(右京区)に、長澤の野菜を仕入れ始めて6年になる。
当時を振り返る。「吉兆の料理を見直していた。技術、調味料、食材。最終的には食材がまずいと何をしてもまずいし、いいと少々下手してもうまい。で、全国で食材探しをしていた」と徳岡。長澤は「吉兆ってえらい高い店ってことは知っていたよ。縁がないから興味はなかったけど」と笑う。
「また来ます」。長澤に別れを告げ、徳岡は「食材を探して農家や漁業、一次産業の現場を回って、そのひずみをこれでもかというくらい見た」と語り始めた。それは同時に、料理屋に不可欠な一次産業に、自分たちがどう関われるかを考えつづけた時間でもある。
2人の出会いの時、長澤は無農薬栽培を始めて約10年が過ぎていた。徳岡の言う「ひずみ」を長澤のあゆみからたどってみる