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きょうの味 農業、漁業、現場にひずみが浮かび上がる

吉兆創業者、湯木貞一は自らの料理を「季節の模型」と言い、「この模型を通して花鳥風月の趣を感じてほしい」と語った。写真集「吉兆」(78年)のはしがきには、「日本料理の世界に誇るにたる点」として、季節との結びつき▽材料の持ち味を生かし切ること▽色どりの美しさ▽器との取り合わせ−を挙げている。そして、「その仕事ができるだけの、とりどりの材料が、季節季節にちゃんとまだこの日本にはある」と誇らしげに書いた。

依頼約30年。湯木から二代を経て、徳岡邦夫(46)は祖父の矜持を守ることへの不安を隠せないでいる。「日本の優れた食材は今後も存在するのか?」

作品:美しく実ったオクラ。徳岡(左)は長澤の話を聞きながら、ひとつずつ愛でるようにその出来を確かめる=右京区で

作品:美しく実ったオクラ。徳岡(左)は長澤の話を聞きながら、ひとつずつ愛でるようにその出来を確かめる=右京区で

季節の食材、守れるか

8月17日。九州に接近した台風10号の影響で、空には薄く雲がかかり、サウナのような高湿度の空気が体を包む。

「お、ええ感じで出来てきてますね」。徳岡が畑の畝の間にしゃがみ込む。脇に腰丈ほどの植物。放射状に広がった葉の中央に、五角形の砲弾のような形をした実がなっている。オクラだ。表面を細かい毛が覆い、銀色に輝いて見える。

「もうちょっと雨が降らんとなあ。熱帯のスコールみたいな雨ばっかりで、全然まとまって降らん」。腕組みをしながら長澤源一(53)が応える。右京区太秦で「長澤農園」を営む長澤家じゃ、400年以上続く農家。長澤は十七代目で、太秦と亀岡、八木(南丹市)で野菜を作っている。

足下の畝に小さな雑草が見える。長澤は農薬や化学肥料を全く使わない。徳岡自らの店、京都吉兆嵐山本店(右京区)に、長澤の野菜を仕入れ始めて6年になる。

当時を振り返る。「吉兆の料理を見直していた。技術、調味料、食材。最終的には食材がまずいと何をしてもまずいし、いいと少々下手してもうまい。で、全国で食材探しをしていた」と徳岡。長澤は「吉兆ってえらい高い店ってことは知っていたよ。縁がないから興味はなかったけど」と笑う。

「また来ます」。長澤に別れを告げ、徳岡は「食材を探して農家や漁業、一次産業の現場を回って、そのひずみをこれでもかというくらい見た」と語り始めた。それは同時に、料理屋に不可欠な一次産業に、自分たちがどう関われるかを考えつづけた時間でもある。

2人の出会いの時、長澤は無農薬栽培を始めて約10年が過ぎていた。徳岡の言う「ひずみ」を長澤のあゆみからたどってみる

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