もう一つの要因が「吉兆の名前」だ。長澤は自分からは京都吉兆との取引を語らない。「取引先は?」と尋ねられて、その名を出す程度だが、相手は大抵声のトーンを変える。更に徳岡邦夫(46)=京都吉兆嵐山本店総料理長=の紹介で、全国の「食材のうるさい」料理店との付き合いが始まった。それらの店は「1回サンプルを送ったら、ほぼ間違いなく次は商売したいって言うてくれはる」(長澤)。徳岡を起点とする強力な“口コミ”の力が、長澤の野菜の評価を高めていく。
「かっこええでしょ!」。徳岡は長澤のことを語る時、満面の笑みを浮かべて言う。「周囲に無理だと言われつつ、10年間信じる道を貫いて、有機農薬で誰にも負けない野菜を作り出した。今は市場の評価もひっくり返して、収入も上がったんやから」。そして「長澤さんは農家のヒーロー。彼の姿を多くの人に見てほしい」と言う。
人前に出るのが苦手な長澤を、多くの人に紹介したのもそのためだ。何故そこまでするのか?「いいものを作ったら高い評価と対価を得られる仕組みが必要。でないと誰もその仕事をやらなくなる。農業、漁業、畜産業―日本の一次産業はその危機のまっただ中です。それこそ日本の『食』が崩壊しかねないほどに」
だから「ヒーロー」にこだわる。抽象的なことを言うより、やり遂げた人の話、姿の方が説得力がある。「各地に良質の産品を作って収益を上げているヒーローを作れば、一次産業の活性化に貢献するはず」。そしてこうつけ加える」。「ヒーローを生み、支えることに吉兆の名前と信用が生かされればいいなと。僕と吉兆に出来る一つの役目やと思っています」