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きょうの味 料理屋生産者の現状を伝えるパイプ役

最初にいい料理を出したい、という思いで始めた。90年代後半、食材産地巡りを始めころを、徳岡邦夫(46)=京都吉兆嵐山店総料理長=が振り返る。「でも農業、漁業、一次産業の現場を回ると吉兆の料理どころやない。日本の『食』全部が危ないことが分かってきた」

九州、鰹節の産地の小さな町。高齢の職人宅には後継者がいない。職人は「息子は東京。田舎でこんな仕事やってても」とつぶやく。年収は200万円を下回ることもある。伝統的な鰹節は感想に半年かかるが、市販のだしの原料は乾燥機で1日で完成。若者は都会に出るか、原料の下請けに回った。「普通の」鰹節が消えつつある。

淡路島・岩屋の鯛漁の名人は、兄弟で年間3000万円を稼ぐ。でも「息子に継がせたくない」と言う。「俺らみたいに潮を読み、稼げる漁師になれるかどうか。下手やったら収入なしや。会社勤めの方が安定している」

全国から引く手あまたの有機農薬野菜を作る長澤源一(53)=右京区=は、そのノウハウを一切隠さない。弟子を取り、すべて伝授する。一番弟子は独立し、京都吉兆との取引も始めた。「日本の農家が安売り野菜作っても、外国産に勝てっこない。付加価値の高い、日本独自の農薬を作るのに、私の技術が役立つんやったら、使ってほしい」

危機感:全国の食材産地を回る徳岡。「日本の食」が直面する危機を肌で感じ取る。

危機感:全国の食材産地を回る徳岡。「日本の食」が直面する危機を肌で感じ取る。

日本の「食」を救う鍵

「長澤さんの野菜は高く売れるようになった。今じゃ彼にあこがれる人がいっぱいいる」と徳岡。「1次産業をあこがれの職業にする。それが日本の食を救う鍵」。そして「そのために、いろんな人の意識を変えないと」とも。

まずは生産者の意識。「もっと表に出て、その思い入れ、技術をもっと僕らに教えてほしい」。人前に立つのが嫌いだった長澤は、徳岡に引っ張り出され続けて「農家のヒーロー」になった。

次は消費者の意識。「月に1回でも少し高い野菜を食べてみる。生産者に思いを馳せて食べることが、日本の食を支えることになる」

そして三つ目が「ルール」。為政者側の意識と言ってもいい。有機農薬農業に取り組む人や、新規就農者への支援の充実を訴える。「無利子融資とか税制上の優遇措置とか。皆に長澤さんの10年の苦労を体験しろとは言えないから」。そう言って馴染みの政治家や経済人の繰り返し語りかける。「生産者の現状を伝えるのが僕の役目。料理屋は、生産者とそれ以外の人たちをつなぐパイプ役やからね」

「生産者なしに料理屋は成り立たない。それだけじゃない。生産者がいなくなり、食が崩壊したら、人は生きていけないんですよ。」そう話す時、徳岡の口調はいつになく熱くなる。

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