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きょうの味 かける手間は、愛情を込める技術

最近、よく耳にする「食育」と言う言葉。広辞苑(第5版)の見出し語にはないが、言葉としての歴史は以外に古い。1898(明治31)年、福井県出身の医師、薬剤師で陸軍少将、薬剤監という地位にあった石塚左玄の著書「通俗食物養生法」。この中の「体育智育才育は即ち食育なり」というくだりが「食育」の初出という。1903(明治36)年には作家、村井弦斎も著書「食道楽」の中で「食育」と書いた。しかし、その後約1世紀、世間からこの言葉は消える。“復活”はBSE(牛海綿状脳症)の発生や食品の産地偽装で食への信頼が揺らいだ01、02年ごろ。03年には小泉純一郎首相(当時)が施政方針演説に「食育の推進」を盛り込み、05年6月に「食育基本法」が成立。法の前文は食育を『知育、徳育、体育の基礎」と位置づけた。

徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=が、食について語り始めたのは「食育の復活」を数年さかのぼる90年代末のことだ。料理の質を高めるため1次産業の現場を歩き回り、その窮状を目の当たりにしたのが契機となった。以来、学校、市民グループ、メディア・・・・請われれば出かけて「食の大切さ」を語る。この12日にも、京都学園大の健康講座で壇上に立った。「経済が破綻しても人類は生きていける。でも食が破綻すると全滅。優先順位で言えば食の方が断然上なんです!」という語りかけは、今や徳岡の講演の定番でもある。

そんな徳岡の考える「食育」とはどんなものか。

「食に対するあらゆる意識を高めてもらうこと」。最初の答えは一言。その後、熱のこもった話が続く。「食の効果とは何か。食を一緒に囲むことで人間性をはぐくみ、社会の和を作る。例えば食事をした仲間で新しい価値観や文化、ビジネスも生まれる。安全でおいしい食材を作れば水や土、大気の環境改善になるし、農業や漁業は国の根幹を守る大切な存在だという意識が社会に根付くと1次産業の健全化につながる。家庭、地域の味や習慣を伝えることで、若い世代が文化を継承する意味を学ぶことにもなる・・・・」

「語る」料理人伝えるものは?

具体的には味の違いを知ることがスタート、という。そこで食への興味がわく。吉兆の食材を使った「多べ比べ」がまさに徳岡流食育の出発点だ。「政治も経済も道徳も環境も、人と人が共に生きるために必要なこと、それはすべて食に通じる。そう思ってるから僕は語り続けてる」。言いながら、徳岡は何度もうなずく。自分の使命を再確認するかのように。

「食能(よ)く人を健にし弱にし、食能く人を聖にし暴にし、食能く人を雅にし俗にするのみならず、食能く人の心を軟化して質素静粛に勤勉し、食能くの人の心を硬化して華美喧噪に断行するに至る」。石塚左玄はこう言って、食が人間に与える影響の大きさを説いた。100年余り後、徳岡もまた自分の流儀で「食の意味」を語り続けている。
 
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