京丹後市丹後町間人(たいざ)。聖徳太子の生母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が蘇我氏と物部氏の争乱を避けて身を寄せたと伝えられる地だ。地名は皇后が都のあった飛鳥に帰る時、「退座」した場所という由来を持つ。日本海に面した間人漁港は“幻のカニ”と呼ばれるズワイガニ、間人ガニの産地。デパートではオスの活ガニで1杯数万円、希少な1キロ超の大物は10万円に迫ることもある。
間人ガニの漁場は、間人漁港の沖合約20〜30キロ。水深約200〜350メートルの砂泥の海底だ。他の海域より深いため、大量に捕るのは難しい。それにカニは水揚げと同時に急速に味が落ちる。だから間人の漁師は、夜中に出港して翌日昼ごろに戻る日帰り漁しかしない。効率を度外視した方法が、幻の味を生む。 今にも大粒の雨が降り出しそうな雲天の下、鈍色の海面を滑るように5隻の漁船が間人漁港に戻ってきた。船の全長は20メートル。間人のカニ漁船は通常この5隻だけだ。
2006年11月19日、カニ漁解禁から間もない間人を、徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=が訪れた。先立つ9月、友人の永砂智史(27)から相談を受けた。永砂は同市出身、京都大を出た後、故郷に戻りバイオ企業を経営している。「地元の漁師の暮らしを豊かにしたい」。カニが捕れるのは冬場だけ。それにメスのカニ、通称コッペは1000円程度の値しか付かない。「漁業は丹後を支える基幹的な1次産業。その活性化に知恵を貸して下さい」。永砂は頼み込んだ。
午前11時半、接岸した漁船から降ろされたカニを、待ちかまえた漁師の妻たちが細かく選別していく。競りはその後だ。漁師自身が船上で最初の選別をしているから、間人のカニは競りまでに2度の厳しいチェックを受ける。
徳岡は選別作業をじっと見守りながら、そばにいる漁師に問うていた。値段の相場、売れ行き、カニが捕れない夏場の漁について・・・。間人に限らず、近辺の漁師は冬場に、年間の収入の大半を稼ぐ。逆にいえば、夏場は期待できる収入がないということだ。
「間人のコッペをうちで使っているお酢とセットで売ったらどうですか?」。地元漁師の幹部に徳岡が提案した。間人のコッペは「上海ガニよりうまい」という人もいる。ただその味と価値が世間に知られていない。ならば吉兆の味を使い、コッペのブランド力を上げよう。そう考えた。
実際に馴染みの百貨店のバイヤーを間人に連れて行き、漁協と引き合わせた。バイヤーには「地元が一番潤うような商売をしてくれ」と口を酸っぱくして言い続けた。
コッペの漁は1月初旬まで。徳岡のアイデアは翌シーズン、つまり今年まで保留になった。11月、再びカニ漁が解禁される。徳岡の命題である「1次産業の活性化」。小さな漁港を舞台に、その新しい挑戦が始まりつつある。
=敬称略、つづく
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