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京都市に次ぎ、府内2番目の広さを持つ京丹後市。04年4月、峰山・大宮・網野・丹後・弥栄・久美浜の6町が合併し、市制に移行した。豊かな自然に囲まれた、伸びやかな環境に約6万3000人が住む。
徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=が、この市と深いかかわりを持つようになったのは昨年夏。以来、ボランティアで市の活性化プロジェクトに加わっている。その対象は農業、漁業だけでなく、特産の丹後ちりめんの販路拡大や第三セクターの経営再建まで幅広い。
徳岡を京丹後市に引き寄せた永砂智史(27)は、市の現状を「リアルに限界が来ている」と言う。永砂は旧網野町出身。高校入学と同時に離れた地元に、26歳で戻ってきた。現在はバイオベンチャーなど複数の企業の役員を務める。「65歳以上の高齢化率は30%近いし、産業の衰退が著しい。同世代と話していても、京丹後はダメだっていう悲観的な話しか出てこない。なのに危機についての現状認識が甘い。」故郷について語ると、厳しい言葉があふれる。「地元のために何かしたい」。思い悩んでいた昨年7月、徳岡と出会った。「とにかくエネルギッシュ。それに言葉や表情が豊かで、人の心を動かす力がある。」そう永森は徳岡の第一印象を語る。
今年1月、永森は京丹後市長、中山泰(47)と徳岡を初めて引き合わせた。中山は「私たちのまちづくりのバックアップをぜひお願いしたい。」と頼み、市役所内に徳岡や永砂とパートナーシップを組む「魅力創造プロジェクトチーム」の新設を約束した。チームは3月から活動を開始。ほぼ月1回のペースで徳岡らとミーティングを行い、複数の事業を進めつつある。
永砂は徳岡と市とつなぐ際、自分なりにルールを決めた。いわく、短期的成果を求めない▽徳岡と一過性の“客寄せパンダ”にしない▽民間の仕事を奪わない▽成功するまであきらめない−。
「要は徳岡さんを東国原知事のようにしないってこと」と説明する。宮崎県知事、東国原英夫(50)は自らセールスマン的立場で県のプロモーションを進め、成功を収めた。しかし永砂は「知事が代わると、元のもくあみになりかねない。地域の持続的な発展につながるのかも疑問。それにプロモーションは本来民間が自前でやるべきで、行政の仕事じゃない。」と手厳しい。
ならば、永砂が徳岡に求めるものは?問うと「京丹後の人たちの意識を変えるきっかけ。未来を変える起爆剤」と返ってきた。1次産業を若者があこがれる職業にする、丹後ちりめんなどの高い技術を世界に売り込む・・・・永砂が地域に根付かせたいのは、そんな徳岡の「思い」や「発想」だ。
「市場が求めているものを知り、そこで自分たちができることを知る。1次産業も、ちりめん産業も、観光も、視点を変えれば未来は開ける。京丹後はダメだって愚痴ってばかりではいられなくなる」。市役所の中に、1次産業の現場に、そして地域全体に「そういう意識の転換を生み出したい」。そうすれば「京丹後は変わる」と永砂は信じている。
=敬称略、つづく
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