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農水省の調査によると現在、世界各国で営業している日本料理店は推定2万〜2万5000店。この10年で急増しているという。世界的な日本料理ブームの中、「京都吉兆」の海外進出のうわさは、ここ数年何度もささやかれてきた。パリ、ニューヨークが“候補地”の双璧、ホノルルかも、と言われたこともある。徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店総料理長=に、改めて聞いた。京都吉兆は海外に進出するのか?「僕は、しません」。徳岡は「僕は」の部分に力を込めて言った。「ただし吉兆を背負う次の世代の人達のために、土台は作っておきます」とも。その理由には、徳岡らしい「哲学」があった。「海外進出に限らず、店を出すことって、何があればできると思います?お金、食材、料理の技術?違いますよ」と徳夫は言う。「店を出して、それを維持、継続するには、レストラン側からのアピール、行動だけでは無理。お客様、生産者、お店のメンテナンス担当者、地域の人達と始終意見をやりとりして、信頼を得ていかないといけない」。周囲との間に、ギブ・アンド・テークの関係を作れないと店は続かない。そう断言する。
「こちらから『出店します』と言って乗り込んでも、なかなか成功しない。出店前に地域の人達に『求められる存在』にならないとダメなんです」。そこまで言った後、徳岡はいたずらっぽく笑って付け加えた。「それに面白い仕事の一つ二つ、次の世代に残しておかないとね!」 |
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次の世代。徳岡には2人の息子がいる。長男の一喜(20)は大学3年、次男・尚之(18)今春、大学に入ったばかりだ。
06年5月13日、右京区・清滝の通称「吉兆山」で、日本で初めて発売されるシャンパンのお披露目会が開かれた。ゲストは京都吉兆の常連客で、徳岡の友人でもある約20人。大学に入学したばかりの一喜はネクタイ姿で、生まれて初めて客の前にたった。おぼつかない手つきで高級シャンパンのボトルを持ち、客についで回る。傍らには徳岡や女将の理津子(44)が寄り添った。
「今日デビューした息子です。よろしくお願いします」。にこやかに一喜を紹介する徳岡。「男前だね!」という声に、「若いころの僕そっくりなんですよ」と答えると、場がどっとわく。一方、一喜の顔は終始ぎこちない。宴の後、客の目の届かない物陰で「緊張しました・・・」と大きく息を吐いた。
徳岡は15歳で料理の世界に入った。「料理人になるの?」。客の1人に「四代目!」と呼びかけられた若者は、困惑した顔で「まだわかりません」とだけ応えた。
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シャンパンのつぎ方を教える=06年5月 |
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=敬称略、つづく
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