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徳岡邦夫(47)=京都吉兆嵐山本店=の次男、尚之(18)も今春、京都大経済学部に入学した。高校2年生の時、「経済の仕事がしたい」と話していた。その先の進路を尋ねると、「僕は味オンチなんで料理人は無理です。おいしいもん食べられてええな、とは思いますけど」と言って、屈託なく笑った。
長男の一喜(20)と次男の尚之。息子たちの話をする時、徳岡の表情は微妙に変化する。不安と期待、親としての顔と料理人、経営者としての顔。どの顔で話そうか逡巡しているようだ。
06年7月、息子たちの将来について徳岡はこう答えた。「好きにしたらいいって言ってます。逆にそう簡単に(吉兆を)継げると思うなよって言うくらい」。同時期、妻で嵐山店女将の理津子(44)は言っていた。「たぶん、主人は継いでほしいと思っています」。そして今年2月、徳岡に同じ話題を投げかけると、返ってきた言葉が少し変化していた。
「本音は2人ともに継いでほしいですよ。でも吉兆の経営者になるとか、総料理長になるとかは別の話。その能力のある人がやるべきだし、僕の社員の中から次代の代表者が出てほしいとも思います」。徳岡は今、息子たちに「中途半端なことだけはやるな」とだけ言い続けている。 |
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昨秋、次代の「吉兆」の行方に影を落としかねない事態が起きた。船場吉兆(大阪市)の偽装事件。「ブランドの失墜」という文字が連日、メディアに飛び交った。「ショック・・・。ショックと言えばショックだけど、そんな言葉では言い表せないですね、あの時のことは」07年10月28日、福岡市が船場吉兆の期限切れ商品販売を発表した。徳岡は米・サンフランシスコにいた。「全く寝耳に水。オール吉兆で対応を考えないと」。未明のサンフランシスコとの電話で、徳岡はいつもよりわずかに早口で話した。予定を繰り上げて帰国したが、その後も「想定をこえる出来事が」が続く。京都吉兆にも嫌がらせの電話やメールが相次いだ。事件による損失は?と尋ねると、返ってきたのは意外な答え。「事件以降、大半の店で売り上げが下がりました。例外はここ、です」といって、足下の畳を指さす。「ここ嵐山本店は前年比120%以上に伸びたんですよ」
多くの客が「大変やな」「僕らにできるのは店に来ることやから」と次々、店を訪れた。出入りの業者も「これまで通りよろしくお願いします」と言ってくれた。「お客様とも業者さんとも、直接接するのは僕やなく、うちのスタッフ。彼らは日常の料理とサービスを通じて、お客様や業者さんと信頼関係を作ってきた。その結果が出たんですね。あの時ほど、うちの店の連中はすごいって思ったことはないです」。徳岡が大きな胸を張ったように見えた。
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「お客様の顔を思い浮かべて」。すべてはそこから始まる |
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=敬称略、つづく
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