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雅味豊かな空間で食事をすることか大切、と説いた魯山人の言葉が蘇る庭と室内。

 京都嵐山を借景に佇む料亭『吉兆』。昭和5年、創業者湯木貞一が大阪に鯛茶漬けの店「御鯛茶処吉兆」を開き、現在の吉兆の土台となる第一歩を路みだした。
この頃、魯山人はこの店の評判を聞きつけて来店し、食事代としてダンボールに曲と積まれた食器を送ってきた。魯山人と吉兆の付き合いはここから始まり、吉兆が懐石料理店として京都へ移り、昭和23年、現在の嵐山本店の地に店を構えてからも続いた。京都は魯山人にとって生まれ育った街。そのつながりは特別だったようだ。
「終戦後の物資のない時代は、私どもからお米を送らせていただいたようです。お礼にと、多くの食器をいただいたと聞いております」
と語るのは、吉兆3代目主人、創業者の孫にあたる徳川邦夫さん(43歳)。器の種類だけでも100はあるという、夥しい数の魯山人の食器に、吉兆と魯山人との強い結びつきを感じる。
「祖父は茶の湯が好きでした。そして他の分野でも、一流の才能の持ち主と常に接していたいと思っていたようです。そんな向上心が、魯山人に気に入られたのではないでしょうか」
貞一さんが「祥瑞」の水指を購入しようかどうか迷い、魯山人に相談した時のことだ。祥瑞とは中国・明代に、日本からの依頼で中国最大の窯場「景徳鎮窯で作られた茶器の染付磁器。魯山人は、
「これは神が創ったもの。他のものは人が作ったものだ」と、即座
に答えたという。
「その言葉で祖父は購入を決意したそうです。そんな忠告ができる
のは魯山人だけです」(徳両さん)

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