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『吉兆』創業者の湯木貞一氏が考案した鯛の筏焼き。尾頭付きを美しく食せるよう、身をひと口大に切ってから焼く。

 

「京都吉兆嵐山本店」で再現してもらった睨み鯛(鯛の姿焼き)。昆布を入れた立て塩(濃い塩水)に30分前後浸けてから、炭火でじっくり焼き上げた。注文も可(時価)。

 

祝いの席に鯛を飾る週間が、いつごろ始まったかは詳らかではない。だが、『鯛』の著者、鈴木克美さんは「西日本が発祥で、かなり古い歴史を持っていることは間違いないでしょう」という。
古代国家の中心だった西日本には、瀬戸内など鯛の優良漁業が多い。平城京址から出土した木簡には鯛の文字が見られ、奈良時代にすでに献納物だったことがわかる。
2000年の由緒を誇る伊勢神宮は、神饌としてささげる干鯛を専門に作る干鯛調製所(御料地)を知多半島(愛知県)の篠島に持ち、現在でも古式に則った方法で塩蔵や天日干しを行っている。
婚礼などの席に2尾の鯛を腹合わせにして並べたり、正月の掛け魚として塩漬けの鯛2尾を神棚や玄関に飾る週間が見られるのも圧倒的に西日本である。
かつて、京都や大阪の正月風景だった「睨み鯛」も、そんな流れを汲む文化だ。
元日の朝、尾頭付きの鯛を床の間や座卓へ恭しく置く。ご馳走であり飾り物でもある。これが睨み鯛の位置づけだ。京都の公家に生まれ、昭和天皇の侍従長を務めた入江相政は、かつてある随筆にこう綴っている。
≪私のうちでは、元日の祝い膳には、鯛が付くには付いたが、これを朝からやっつけてはいけない。できるだけ延ばさなくては。だからこれを「にらみ鯛」と称して、朝、昼はただ眺めるだけ、夕食のときにはじめて焼いて食べることが許された・・・・≫
明治・大正時代の公卿の家では、すでに生の鯛が正月から並んでいたが、その昔は塩をたっぷり効かせて峠を越えてきた若狭の鯛で、七草を迎える頃までは箸をつけなかったとも書いている。

鯛は、誕生からお食い初め、成人、そして結納、結婚、長寿の祝いと、常に人生の節 目と共にある。写真は昭和34年1月、現在の美智子皇后の生家・正田家で行われた 「納采の儀」の結納品。左から2匹を腹合わせに並べた鮮鯛、清酒、服地。
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