人と人との関わりを大事にするという精神は、創業者である湯木貞一から受け継いだものです。彼が「吉兆」を始めたのが昭和5年。その9年後には株式会社にしています。今では料理屋の株式会社なんて珍しくないかもしれませんが、当時は間口一間二分五厘の小さな料理屋が株式会社になるなどということは考えられない時代です。湯木貞一は料理の天才でした。料理のセンスはもちろん、文化的な知識も豊かでしたが、株式などとはよほどかけ離れた人間でした。それがなぜ、時代を先取りするように株式会社にしたのかが不思議でした。
これは当時、関西の財界の錚々たる方々がバックアップして、知恵・資金・情報を提供してくださったからできたことなのです。湯木は茶道を通して、そういう方々と知り合い、そして一期一会の人との出会いの大切さを学んだようです。
阪急グループの小林一三さん、アサヒビールの山本為三郎さん、日商岩井の高畑誠一さん…そんな方々が、湯木貞一という人物に魅力を感じてくださったのでしょう。海外ではどんなことが起こっているのか、どんな料理がはやっているのか、さまざまな情報が、現在と同じくらいの速度で彼らを通じて入ってきていました。それらの新しい情報を聞く能力、受け入れる能力、そして自分を発信する能力が湯木貞一にはあったのでしょう。すぐにスモークサーモン、キャビア、フォアグラなどの食材を巧みに日本料理に取り入れました。