狂言師と料理人。この地に暮らす二人が、それぞれの立場で京都の本質的な姿を語り合う。
徳岡:嵐山という場所は、環境に恵まれたありがたい立地です。山があって、川があって。庭は囲いのある限られた空間が普通ですが、うちの場合は、裏山そのものが借景にもなって。その自然を背景に、ダイナミックな実体験ができます。船を出したり、お月見したり…遊びの延長で。
茂山:僕は法輪寺の十三詣のイメージ。数え十三歳になると、大人の知恵を授かりにお参りにいくのが、京都の家族の行事ですからね。
徳岡:渡月橋を渡りきるまで、振り返ったらいけないといいますね。授かった知恵が、なくなるらしい(笑)
茂山:観光シーズンは、人が多すぎて立ち入るのをためらいますが…。それをちょっとはずした、中秋の名月くらいの時期は、また違う風情があっていいですよ。
徳岡:ちょうど鵜飼いを過ぎた頃。川に船を出して進むと、嵐山渓谷が目前に迫ってくるようなポイントがあります。静寂のコントラストには、ただただ感動するばかり。忙しい日常の中でエネルギーをもらう瞬間です。
茂山:美しいのは桜や紅葉だけではないですよね。身近な自然の中にも、感動がたくさんある。京都にいると、そのようなことを実感させられます。狂言には地名を固定するような演目は少ないのですが、なぜか嵐山にはあります。それが「猿婿」。吉野山の猿が、嵐山の猿に婿入りするという内容で「キーキー」と猿語で話が進むから、ちょっと面白い。嵐山の大自然を彷彿させるようなのびやかなイメージもあります。
徳岡:猿の言葉だけで!(笑)それは想像力を試されますね。