「若主人!」9月中旬のある日、日も傾いた午前5時半。嵐山店の調理場で、金安耕司(27)が声を上げた。手にしたお玉の中には小さなお猪口が入っている。「はいよ、」と言いながら振り返ると、徳岡は無言でお猪口をつまみ上げ、鼻を突っ込み香りをかぐ。数秒間静止。ワイングラスを手にしたソムリエのような動きだ。
お猪口の口には吉兆伝統の「だし」が入っている。材料はカツオと昆布、塩、しょうゆ、そして水。吟味と厳選を尽くした素材だけで作られる。くいっとお猪口をあおり、だしを口に含むと、「よし行こう!」。金安から熱々のだしの入った雪平鍋を受け取り、ハモと松茸の入った椀に手際よく注いでいく。だしの味と香りは、日本食の生命線。徳岡は一日に幾度となくこの作業を繰り返す。
日本有数の料亭、「吉兆」の歴史は1930(昭和5)年、創業者、湯木貞一(1901〜97)が大阪市西区新町に開いた「御鯛茶處 吉兆」に始まる。湯木は、晩年5人の子ども夫婦に大阪、東京、神戸、京都の吉兆各店を継がせ、五つの別会社組織にした。現在、府内に5店舗を持つ「京都吉兆」の旗艦店が、嵐山本店(右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町)。調理場を預かるのが、湯木の孫であり、湯木から数えて3代目の総料理長、徳岡邦夫その人だ。