72年から75年にかけて、「サディスティック・ミカ・バンド」というロックバンドがあった。元ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦や、後にイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に参加する高橋幸宏らの伝説のバンド。北嵯峨高校3年の徳岡邦夫(46)=京都吉兆嵐山本店総料理長=は、そのバンドのリードギターで、ソロとして活躍していた高中正義に憧れた。
「プロになって、高中さんのバックバンドでやりたい」。20歳のころだ。
プロに誘われる程度の腕はあり、知人が高中のバックバンドにいた。「チャンスはある。後は自分の腕次第や」。誰にも相談せず、音楽の専門学校に行くことを決めた。両親に話すと勘当される。だから肉体労働のバイトをかけ持ちして、自立のための金を貯めた。