京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページへ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」の簡単ご予約 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」オンラインショップ
懐石料理の料亭「京都吉兆」へのお問い合わせ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページ 店舗紹介-嵐山店,花吉兆,京都リ−ガロイヤルホテル店,ホテルグランヴィア京都店,松花堂店- 料亭「京都吉兆」の今月の京料理・懐石料理 懐石料理におけるおもてなしと、茶時,魯山人,楽焼,バカラ等、器の文化 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」イベント 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 京都嵐山の懐石料理の料亭「吉兆」徳岡邦夫のコラム
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 新聞・雑誌等
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 TV・ラジオ・他
TV・ラジオ・他
動画をご覧いただくためには
※動画をご覧いただくためには
Microsoft Media Player
が必要になります。
1 | 2  [ 前のページ | 次のページ ]
きょうの味 バブル崩壊、「最悪の時代」へ

87年春、徳岡邦夫(46)=京都吉兆嵐山本店総料理長=は、約3年間交際した理津子(43)と結婚した。徳岡は26歳。同時に東京から嵐山の店に転勤する。88年には長男一喜(18)、89年秋には次男尚之(17)が生まれた。

東京・日本橋のアパレル問屋で働いていた理津子は、飲食業とは無縁。23歳で期せずして、料理の世界に飛び込んだ。「本当に体力勝負の仕事。お休みもほとんどないですし、拘束時間も長いですから」。今は微笑みながらそう言うが、慣れない世界での苦労は想像に難しくない。事実、理津子は出産後数年間の生活を「あまり覚えていない」と言う。

「忙し過ぎてだと思います。バブルまっただ中でお店は毎日目の回るような状態。若女将として覚えることもたくさんあって、ものすごいスピードで時間が過ぎていきました」。生まれたばかりの息子たちと過ごす時間が削られた。息子たちは嵐山本店ではなく、近くのマンションに理津子の実母と住んでいた。「我が子のそばにいられなくて、すごく精神的につらい時でした。主人もしんどそうでした」と話す。

立志:高校を出て1、2年後、京都吉兆のOB会で祖父湯木貞一(前列左から2人目)と共に記念写真に収まる徳岡(同右から2人目) =徳岡氏提供

喜び:長男一喜を抱く徳岡。27歳の春だ =徳岡氏提供

1 | 2  [ 前のページ | 次のページ ]
Copyright © 2006 kyoto kitcho. All Rights Reserved.
京都スローフード協会 食コミュニティー 湯木美術館 コンプライアンス委員会 エチエ農産
個人情報保護 会社概要 リクルート English