徳岡が最近、こんなエピソードを語った。次男が小学生の時、車の中で珍しく長時間、話をした。「いろいろ説教めいたことも言ったんですよ。そしたら『親らしいこと何もしてへんくせに』っていわれて」。言い返せなかった。「確かに何もしてへんし。でも彼らがいるから僕は頑張れるやけど」
その次男、高校2年になった尚之は、小学校低学年の父親参観での思い出を語った。先生が父親たちに問題を出し、徳岡だけが他の親と違う答えに手を挙げた。「絶対間違ってるって思ってたら、お父さんだけが正解。かっこよかった」と言う。そして父を「思ったことを貫く人」評する。「あんまり話したことないけど」という前置き付きだが、父子の絆は浅くはないようだ。
91年、バブル経済の崩壊が表面化する。93年になると各地の料亭が経営難に陥り始めた。日本の社会全体が「失われた10年」に突入していく中、吉兆も苦難に直面する。
客がどんどん減る。徳岡は「世の中に吉兆は必要なのか。存在価値はあるのか」と自問自答した。「周囲に必要とされないものは淘汰される」。自分が信じるセオリーに則るならば、「吉兆も消えゆくしかない」。閉店、転職の覚悟をし、「カウンター式の店をやりたい」と本気で考えた。
売り上げの低下に歩調を合わせるように、店の中が殺伐とし始めた。「職場に派閥が出来て、責任転嫁をしあう。失敗はオープンにせず隠す。一生懸命仕事をしている人が評価されない」。組織が制度疲労を起していた。その疲労がピークに達した95年、徳岡は父から総料理長の地位を継ぐ。徳岡が言う「最悪の時代」が幕を開けた。