京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページへ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」の簡単ご予約 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」オンラインショップ
懐石料理の料亭「京都吉兆」へのお問い合わせ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページ 店舗紹介-嵐山店,花吉兆,京都リ−ガロイヤルホテル店,ホテルグランヴィア京都店,松花堂店- 料亭「京都吉兆」の今月の京料理・懐石料理 懐石料理におけるおもてなしと、茶時,魯山人,楽焼,バカラ等、器の文化 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」イベント 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 京都嵐山の懐石料理の料亭「吉兆」徳岡邦夫のコラム
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 新聞・雑誌等
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 TV・ラジオ・他
TV・ラジオ・他
動画をご覧いただくためには
※動画をご覧いただくためには
Microsoft Media Player
が必要になります。
1 | 2  [ 前のページ | 次のページ ]
時がはぐくみ親子の絆

徳岡が最近、こんなエピソードを語った。次男が小学生の時、車の中で珍しく長時間、話をした。「いろいろ説教めいたことも言ったんですよ。そしたら『親らしいこと何もしてへんくせに』っていわれて」。言い返せなかった。「確かに何もしてへんし。でも彼らがいるから僕は頑張れるやけど」

その次男、高校2年になった尚之は、小学校低学年の父親参観での思い出を語った。先生が父親たちに問題を出し、徳岡だけが他の親と違う答えに手を挙げた。「絶対間違ってるって思ってたら、お父さんだけが正解。かっこよかった」と言う。そして父を「思ったことを貫く人」評する。「あんまり話したことないけど」という前置き付きだが、父子の絆は浅くはないようだ。

91年、バブル経済の崩壊が表面化する。93年になると各地の料亭が経営難に陥り始めた。日本の社会全体が「失われた10年」に突入していく中、吉兆も苦難に直面する。

客がどんどん減る。徳岡は「世の中に吉兆は必要なのか。存在価値はあるのか」と自問自答した。「周囲に必要とされないものは淘汰される」。自分が信じるセオリーに則るならば、「吉兆も消えゆくしかない」。閉店、転職の覚悟をし、「カウンター式の店をやりたい」と本気で考えた。

売り上げの低下に歩調を合わせるように、店の中が殺伐とし始めた。「職場に派閥が出来て、責任転嫁をしあう。失敗はオープンにせず隠す。一生懸命仕事をしている人が評価されない」。組織が制度疲労を起していた。その疲労がピークに達した95年、徳岡は父から総料理長の地位を継ぐ。徳岡が言う「最悪の時代」が幕を開けた。

1 | 2  [ 前のページ | 次のページ ]
Copyright © 2006 kyoto kitcho. All Rights Reserved.
京都スローフード協会 食コミュニティー 湯木美術館 コンプライアンス委員会 エチエ農産
個人情報保護 会社概要 リクルート English