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京都・嵐山の山懐、大堰川の清流を望む川岸に、京都吉兆・嵐山本店がある。重厚な門構えを入ると、玉砂利を踏んで風格ある玄関に達する。46歳の若さで厨房を指揮するのは、徳岡邦夫総料理長。「吉兆」の創業者・湯木貞一の孫にあたり、その料理界のカリスマが築いた伝統をベースにしながらも、新たな味の創造にも積極的に取り組む。日本はもちろん、世界の食通からも熱い視線を浴びる平成の麒麟である。「1961年、東京に進出した時、祖父は、“世界之名物、日本料理、吉兆”と言う言葉を使った。その精神は僕の中にも生きています」
徳岡邦夫さんが座すのは、東屋の間。25畳の座敷は庭に面しており、周囲の山々が間近に迫ってくるかのようだ。“工夫して心くだくる思いには、花鳥風月みな料理なり”。貞一翁の言葉は、日々のもてなしに今も息づいている。大阪に発祥した「吉兆」だが、自身は、京都育ちだ。「2歳で移ってきたので、嵯峨は庭のようなもの。大堰川では水遊びをしたし、対岸の岩田山にもよく登った。猿が放し飼いにされていて、同い年の男の子と二人で、パチンコで攻撃して遊んだ」。やんちゃな性格は長じても変わらない。詰め込み教育に嫌気がさし、進学校を中退、調理場に入った。が、2年後、別の高校に再入学。バンドを組んで音楽三昧の日々を送った。卒業時にはミュージシャンになりたいと主張、両親の猛反対にあう。「禅寺に籠って薪割りをするうち、どうして自分は人が困ることをするのか、と思った」。家に戻った邦夫さんは、再び、料理人の道を歩みだす。「祖父に少しでも近づこう」と決意、祖父の姿を間近に見る日々が始まった。当時、貞一翁は80歳。「祖父の身近について数年、ある夜、“にゅうめんが食べたい。つくってみぃ”と言う。夢中で出汁をとり素麺を茹でて、出しました。ひと口啜って、“うまいな”と言われた感激は忘れられません」

アクセス
京都吉兆・嵐山本店/075・881・1101/右京区嵯峨天竜寺芒馬場町58/東海道新幹線・京都駅下車〜「嵐山」バス停から徒歩3分

プラス1
岩田山自然遊園地/岩田山の標高は155m。ニホンザル160頭が棲息。入園口から20分ほど登ると展望台に。遠望を楽しみたい。/075・872・0950/西京区嵐山元禄山町8/東海道新幹線・京都駅下車〜「嵐山」バス停から徒歩10分
 
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