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 この革新の血を引いたのか、吉兆は現在も変化の最中にいる。とくに京都の吉兆京都本店は日々、新しい道を模索しているようだ。その店を実質的に取りしきっているのが、若主人の徳岡邦夫。湯木貞一の孫で、現場の料理人となり、現在、彼は料理長として調理場に立っている。
「うちの亭主は父です。しかし、うちは他に『花吉兆』、『グランヴィア店』、『リーガロイヤル店』とありまして、『嵐山』は私が責任を持ってやるようになりました。吉兆もおかげさまで七十年続いた店になりました。しかし、歴史が長くなると祖父が築いたもののうち、何を残すべきか、また、どれを変えるべきかを判断しなくてはなりません。規準はお客さまと共に。社会に必要ないものは淘汰されるということです」

 バブル経済の崩壊とともに吉兆京都本店でも高価なシャンパン、ワインの消費量ががくんと落ち込んだ。しかし、それが変革の開始には適当な時期だったのだろう。
「最初に変えたのは人の採用です。料理の内容や店のインテリアを変えるより、運営する人間を変えることのほうが大切だと。とくに変えようと思ったのが、サービスを担当する人たちの採用方法でした。彼女たちはお客様に一番近いところで働いているから彼女たちが変わればお客様も店の変化に気づいてくださると考えたのです」
徳岡は新聞広告で近所から仲居を集めていたのをやめ、全国の四年制大学にインターネットで募集をかけたのだ。

「僕自身は高校を出てすぐ料理の道に入りました。しかし、これからのサービス係は単に料理を運ぶだけの存在じゃありません。料理やワインの知識に加え、海外からのお客様には日本の文化を英語やフランス語で説明できなくてはならない。さらには、企画も営業もやってもらわなくちゃならないんです」
人が変われば組織も変わる。初めのうちは徳岡が指揮棒を振るっていたが、もはやそれぞれの社員たちが店を発展させていかなくては、と自覚するようになった昨今という。

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