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「ある日突然、 東京の役所の方から私あてに電話があったのです。
『えっ、おたく、つぶれたんじゃないの?』
そうおっしゃられても、ちゃんと営業しているのですから、何も言いようがありません。ただ笑って受け答えをするしかありませんでした」 |
日本を代表する高級料理店「京都吉兆」嵐山本店(嵐山吉兆)を任されている徳岡邦夫が、不愉快な電話を受けたのは二、三年前だった。
嵐山吉兆の常連で、京都生まれで健康関連会社を経営する徳力滋氏も同じ頃、博多で噂を耳にした。
「博多駅近くの高級寿司店で食事をしていたら、東京から来ていたグルメな客がカウンターの親父に こう話しかけたのです。『親父さん、吉兆の嵐山店は閉じたんだってね』。その時僕は、吉兆も苦労するなあと思いましたねえ。」
徳岡は「吉兆」の創業者、湯木貞一の孫である。彼の父は湯木の娘と結婚し、現在は京都市内にある系列店三店舗をみている。
徳岡は高校を出た後、高麗橋(本店、大阪)、木挽町(東京)、嵐山(京都)という吉兆の基幹三店で修行。いろいろな場所に、湯木のお供をした。その後、九十五年から嵐山店の料理長となっている。
周辺に事情を尋ねてみると、噂の出所は複数あった。
バブルの最中、吉兆の料理人は全国の和食屋からひっぱりだこになり、何人かの従業員が引き抜かれていった。その様子が誇大に伝わり、「嵐山は従業員がいなくなった」と囁かれたらしいこと。
不況で関西を代表する料亭のいくつかが傾きかけ、それと嵐山吉兆が混同されたということもある。
また、東京や大阪の吉兆ならばオフィス街にあるから、仮に店を閉じればすぐに確認することができる。だが、京都駅から車で四十分近くかかる嵐山の場合、すぐに現場を見ることができないという事情も噂を増幅したようだ。 |
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