それまで新聞広告を出して近所から集めていた仲居を、全国の大学の就職課に募集を出した。ホームページを作り、就職や中途採用にもインターネットを活用した。
「料理屋の従業員には大学卒なんていらない、それが今までの常識だった。でも、これからの仲居さんには、料理やワインの知識も必要だし、海外からのお客さんに日本や京都の文化を英語やフランス語で説明しなくてはなりません。優秀な仲居さんを獲得することに全力を挙げました」
大学卒で外国語も堪能な女性、ワインの知識も豊富な仲居が、続々と吉兆嵐山店に入社した。現場を経験した彼女たちは、次々と斬新な提案をしてくるようになった。
これまでの閉鎖的な、紹介者を必要とした予約方法にインターネットも使えるよう提案したのも彼女らだった。
徳岡はサービスと並行して、料理も変えた。まず食材の調達を全国に広げた。
さらに調味料をオリジナルなものに切り替えた。市販の味噌や醤油に頼るのをやめ、生産者と話し合いながら、嵐山吉兆で使うためだけの調味料を作ってもらうようにした。魚、肉、野菜といった食材を全国各地及び海外から調達している飲食店は数あるけれど、手間とコストのかかる調味料をわざわざ作らせている店は稀だろう。
現在、仲居の大半は二十代前半、調理場も徳岡をのぞけば全員が二十代だ。
吉兆を訪れたいと思ったなら、インターネットのホームページから予約さえすれば、紹介者なしに、誰でも吉兆の料理を味わえる。もちろん、おいそれと通える場所ではないが、ホームページを開けば、店の間取りから料理の値段、ワインリストまで、初めて吉兆を訪れる人が物怖じせず食事を楽しめるような心配りが行き届いている。
徳岡は語る。
「まだまだ改善は続けていきます。醤油、味噌といった調味料、バカラさんに作ってもらったガラス器、チェコの業者に開発していただいたゼクト(発砲ワイン)など。
今後はそれをインターネットで売り出したいと思っています。僕はITおたくではありません。もともと機械なんて好きじゃないんです。
でも、もし祖父が生きていたら、どの店よりも先にITをとり入れたんじゃないかと思うんです。祖父は誰よりも早くフランス料理や中華料理の技法を研究し、和食の中に生かしていた。それが吉兆の精神なのです。
祖父を超えるには、祖父について研究しなくてはならない。それも若い頃のことが知りたい。おじいさんがやろうとしたことや、やってみて失敗したことのなかにきっと、うちの構造改革のヒントが隠されていると思うからです」
どうやら、吉兆嵐山店への「悪意ある噂」は、かえってこの店を繁盛させるきっかけになったようだ。 |