徳岡 せやけど、本格的に使いだしたんは、その高畑さんから勧められてからです。親父は高畑さんのこと、先が読める人で、二十歳で絹を買い占めしたとか色々話には聞いてますが、大変な文化人で親父の一番尊敬していた一人でした。茶の湯のことではうちの親父とよく話があって色々なことがあったように聞いています。高畑さんは親父になんとかゴルフを教えようとしはったんやけど、親父は頑固にゴルフはしませんでした。「あれは商売の敵や」言うて。僕らがゴルフしても怒ってね。一日がかりでしよ。「そんな暇あったら本読め!」言うて。そんなんやから頭もずっと五分狩りやったんです。
----- 御髪も短くされてたんですね。
徳岡 なんで言うたら「頭とかんでもええ」って。「髪伸ばしたらとくのに五分はかかる。せやったら一年に何分損やねん!」言うて、そんな考え方で、せやけどアメリカへ昭和三十二年か三年に行く時に。
----- 行かれたんですか?
徳岡 五十五歳から六十の間です。その時に「アメリカ行ったら、五分狩りやったら囚人と間違われるから伸ばしなさい」と言われて、初めて伸ばしました。丁度その頃、その五十五歳前後の頃にロータリーに入って、世間の事も、アレっと思うようなこと聞かせてくれるようになりました。
----- 急変しはったわけですね。
徳岡 ロータリーでね。
----- お父様から、お聞きになったことで、お料理のことでは何が一番残ってらっしゃいますか。いくつかおありでしょうけど。
徳岡 いやぁ、いっぱいありすぎて。
----- どれってお困りと思いますけど。
徳岡 やっぱり料理って最初に出て来たもんから、しまいまでの全体のバランスや、言いましたね。せやからどれ言われても困るけど、親父がすごいなあと思うのは、やっぱり料理の材料の選び方とかもですけど、「寸法と間」ということを言うてますね。これ以上大きかったら口の中でもごもごするとか、これ以上ちっさかったら、食べて貧相な感じがするとか、お出しするのに間延びしたらいかんとか。突きだし、お椀、造りを出すまではさっと出すまではさっと出して、それからちょっと間をあけるようにして。これはお茶の精神です。ご連客は正客にずうっと合わせていただく。一番肝心なことは、その時その時の一番旨いもの、いわゆる季節感のあるものをできるだけ手をかけずにお召し上がりいただく。料理言うたらそれが根本にあって、それから遊びであるとか本筋であるとかがついてきます。神戸で修行中に料理屋が嫌になったいう時に、不昧公の「茶会記」という本を読んで、それが基本にあったみたいです。不昧公というのは202〜30年以上も前の松江のお殿さまで大変なお茶人です。懐石料理に季節があるんや、季節を考えて料理をしたらいかに面白いか、楽しいか、初めて目の前のウロコが取れたと言いました。
----- 器と選定とお料理の関係は後先含めてどういう関係になるんですか。
徳岡 懐石料理やとものすごう道具ようけいるんです。突きだしのおむこうの器、煮物椀のお椀、焼きもんの鉢、炊き合わせの鉢、酢のもの・・・。あと八寸が出てお香のもん・・・、父はずうっと並べさしましたわ。前後だぶってるもんがあると、並べかえなあかん、って全部並べかえて。きちんと並べてみて納得して器が決まりました。親父が使こてた器の中で、中国のもので一客二千万円のがあったんです。今、湯木美術館に納まってますけど。お茶の汲み出しというものに使こたんです。うちは昔からいろんな趣向をこらした料理もありますが、例えば蓮の話もそうですし。(蓮の葉を器のように使用)秋の野の花を箸置き代わりにしてみたりね。そんなんでも父が吉兆って本出したでしょ。あれで吉兆の隠れた部分がスッポンポンになってしもて。吉兆言うたらベールに包まれて、一回行ってみたいなぁ思ってくれる人まで、あの本が出てから本見てきはるんで、吉兆の神秘さはなくなったように思います。
----- お父様が亡くなられて、お父様の偉大さを改めて感じられたことと思いますが。
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聞き手・今西令子
・アナウンサー
・フードジャーナリスト
・日本旅のペンクラブ所属
撮影・溝口照正 |
徳岡 そうです、親父が死んでから誉めてくれはるとか、何をしても批評してくれはる人がなくなったから・・・、ものすごい、そんなんやったらいかんのやけど、確かにこう、新しいことを作り出そうという意欲が前ほど無くなっています。それではいかんのですが。若もんをまだ見ていかなあきませんしね。けど親父の存在はほんとに大きかったです。
----- これからもずうっとお父様の『心』は吉兆さんに受け継がれていかれるんでしょうね。
徳岡 はい。 |