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徳岡 毎年行ってたんです。徳島へは。

----- そうみたいですね。

徳岡 阿波踊りに。父は踊らへんのですよ。皆が踊ってるのを見るのが好きで。

----- どんな方なんですか?

徳岡 お祭りの好きな人。

----- お祭りが好き?

徳岡 もう大好き。祭りがあったらどこまででも出掛けるというくらい好き。

----- どんなお祭りに。

徳岡 何でもええ。嬉しいことが好き。

----- そういう方だったんですか。

徳岡 葬式は嫌い。もう裏千家の浜本宗匠言うてね、筆頭宗匠が亡くなられても・・・もう、同い年の無二の親友でっせ。それでも葬式は行かへんかったです。

----- 湯木さんってお料理はいくつまでなさってたんですか?

徳岡 いや、晩年は死ぬまで料理の文句言うてはりました。自分では手ェ下しませんけど。

----- そうですか。

徳岡 せやけど、八十代の時、調理場で親父が「いや、それ以上、もっと薄う切らなあかん」言うたら、男の子が「いや、それ以上薄うなりません」言うたんです。「ほな、包丁持ってこい」言うて、自分の手のひらの上に置いて、それをすーっと。それは覚えてますけどね。

----- お父様は何がお好きだったんですか。

徳岡 お酒が特に。

----- 清酒ですか。

徳岡 清酒。好きで好きで、もう病院入っとってもお酒飲んでました。院長さん公認で。

----- どんな風にお召し上がりでした?燗してとか・・・。

徳岡 うん、その場の状況に応じて・・・。

----- お好きだった食べ物覚えてはります?

徳岡 親父?何でも好き。フォアグラを日本料理に取り入れたんも親父やし、肉の網焼き始めたんも。

----- お父様ですか、そうなんですか。

徳岡 はい。懐石ン中へ飛び込ませた。それも何でもないきっかけなんですよ。昭和三十二年かな。夏休みに乗鞍行った時、乗鞍の火山灰で作ったコンロや言うのを、買うて帰ったんです。それがなんぼ炭ががんがんいこっとっても全然熱くならへんのです。それが火山灰で焼いたやつで。今は全国チェーンでありますやん。どこの民芸屋さん行っても。

----- あれでお肉を焼かれたんですか?

徳岡 そうそう。あれで最初ほうばも買うて帰って、作ったりしとったけど、そのうち網買うてこいって、餅焼く四角い網ありますやん。これならいけるでぇ言うて。ほんで、小さい網作ってもろて。

----- フォアグラはどういう風に取り入れたんですか。

徳岡 日商岩井いう会社あるでしょ、元は神戸の鈴木商店言うてたんです。そこの会長さんやった高畑誠一さんが、こんなん美味しいで言うて、フォアグラとかキャビアとかスモークサーモンとか、そういうのみんな。それまでにはお茶漬けでちょっと珍味として使こうてた時期があるんですけどね。昭和二十九年やったかな・・・・・お茶事で。

----- へえ、お茶事で、フォアグラを?

徳岡 いや、キャビアを。

----- キャビアを!

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