紅葉には少しばかり早いが、ようやく秋の色を帯びてきた京都・嵐山に出かけ、会席料理とシャンパーニュのマリアージュを味わいながら、アンリ・クリュッグさんとお話ができるという、夢みたいな話が実現した。
私はこれまで、いわゆるワイン通のかもし出す独特のエレガントな雰囲気に馴染むことができず、敬して遠ざけるような感じで、ワインブームをやり過ごしてきた。そこには、ワインの知識や味を感じ取る鋭い舌を持ち合わせぬ私の側からの、物怖じや警戒心もあったにちがいない。そういう一座の光景が贅沢な味わい人の集いというよりも、業界的テイスティング、試飲会といった雰囲気に染まっているケースが多いように見えるのも、気持ちを遠ざける理由のひとつだった。それはそれなりに愉しいゲームなのだろうが、私はそこに参加する資格も身につけてないし、頭に浮かべても気の弾みを覚えぬ場面だったというわけだ。
かつて私は、古本屋でタイトルに惹かれて一冊の本を買ったことがあった。その本は今でも本棚の一角におさまっているが、ワイン通の人々が時おり引用する山本千代喜著『酒の書物』である。昭和15年すなわち1940年の発刊で、西洋における古今の酒に関する文章を網羅した趣のアンソロジーといった内容になっている。昭和15年といえば私が生まれた年である。その私は小学校三年生頃まで、ラムネは飲むことができても、サイダーには手がとどかぬ年齢だった。やがて味わったサイダーの刺激的な味にしびれたが、有名な三ツ矢サイダーの腹に貼られたラベルに、三つの屋が組み合わされた図柄があり、そこに”シャンペン・サイダー”なる文字があしらわれていた。これを味わったのが、私の”シャンペン”体験の原点というお粗末だが、『酒の書物』はそんな時代に先んじること九年、というより日本が第二次世界大戦に突入せんとする空気の中で出版されているのだ。
この本の中に、”シャンペン”をめぐるいくつかの文章も収録されており、ドン・ペリニヨンの功績についての認識を訂正している文章や、「ポメリー未亡人伝説」などという文章もある。この時代、日本人のいったい誰が読むのだろうかという、コアでマニアックな内容だ。たしかに、どんな時代にも突出した知識人というのが存在しているものであり、そういう読者がこれを読みこなしていたのだろう。
こうなると、果たして人は時を刻みつつ進化してゆくのだろうかという疑問が生じ、ワインの知識が氾濫する現代が、その時代にくらべて贅沢かというならば、むしろその逆のように感じられてくる。たとえ戦争への暗雲がおおいはじめていたあの時代でも、今日よりレベルの高いワイン通が隠然と存在していた可能性は十分なのだ。それにしても、『酒の書物』には”シャンペン”と表記されており、シャンペン、サンパン、シャンパン、シャンパーニュ・・・・この呼称の移り変わりの中に、日本という土壌にシャンパーニュ産の白ワインが浸透してゆく色合いが感じられて面白い。
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ところで、今回のキーワードは、”不思議”であるという。これは昨年私が書いた『俵屋の不思議』という、京都の老舗旅館「俵屋」を覗き穴として、京都に残る日本の伝統文化や職人の技術を探った本にヒントを得てのことのようだった。「俵屋の秘密」といえば、”秘密”を知っている者がその解説をしてみせるという構えだが、「俵屋の不思議」ならば、読者と同じ”白紙”の状態から”不思議”を探るという物腰が出る。私はそういう意味でこのタイトルをつけたのだった。今回のタイトルである「シャンパーニュの不思議」にも、まさにそれを踏襲する気分が込められている。それにしても、嵐山「吉兆」でアンリさんを待っている己のありようこそ、まさに最初にかみしめた”不思議”の感覚だった。遠くから打ちながめていたシャンパーニュという城の本丸でいきなり固まっているような心持なのだ。
そんな堅さをほぐすため、私はアンリさんが玄関に到着されるや、座敷で対座する前にほんの少しの時間、舟遊びでもしませんかと提案してみた。アンリさんは意外な申し出にかすかに眉根を寄せてからにっこり笑い、気分よくこのプランにつき合ってくれるこにとなった。もちろん、嵐山「吉兆」の邸内にも凝縮された嵐山の風景はしつらえてあるのだが、その前に京都の誇る雄大な自然に浸ってほしいという気持ちからの提案だった。しかも、紅葉真っ只中の観光客ひしめく嵐山の風景でなく、季節から季節へとうつりゆく気配のただよう、特別でない風情だからこそという思いがあった。
アンリさんは、即座に私のプランを察してくれたようだった。舟にゆられて見上げる嵐山のけしきが、宴席へのちょっと変わった露地となって、私たちをつつみ込んだ。アンリさんは時おり柔らかい笑顔をつくったかと思うと、不意にどこか遠くを見すえる表情になったりした。表情の中に自然に身をゆだねる者のやさしさ、自然を管理する者のきびしさ、その世界を継承する者の誇りと覚悟などが交錯した。そんなアンリさんと共に舟にゆられるうちに、私の躯をしばっていた得体のしれぬ緊張の糸が、嘘のようにほぐれていった。
この日の趣向はグランド・キュヴェからスタートし、1973年、1976年、そしてアンリさんが最初にテイスティングに参加した1962年のシャンパーニュという順番で抜栓し、マツタケを主役とする嵐山「吉兆」の料理とのマリアージュを愉しむという誰かに叱られそうな贅沢な世界だ。時間は昼下がり・・・・シャンパーニュの色や泡の織り成す模様をながめるにはもってこいのスタートだった。”白紙”の私にとってアンリさんとこのような席を共にすることは、大相撲協会理事長の言葉をうかがいながら土俵上の相撲を見物するようなもので、”生涯に一度の体験”という言葉が頭に浮かんだ。
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