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美味放談/conversations with culinary masters

伝統の吉兆、現代の吉兆を世界に発信しつづける徳岡邦夫。彼のまなざしの向こうにあるのは、日本料理の革新ではなくて、食の原点回帰、さらにいえば、生きることの原点回帰だった。 本誌発行人アンドレアス・ダンネンバーグと世界の料理人が「食」の根底にある哲学を語り尽くす。

徳岡邦夫×アンドレアス・ダンネンバーグ(本誌発行人)

 


アンドレアス・ダンネンバーグ(以下AD)  吉兆は昭和5年に大阪で創業しましたね。昭和23年に京都嵐山に移った。素晴らしい料理は国内にも海外にもたくさんありますが、吉兆と他との違いはどこにあるのですか?
徳岡邦夫(以下徳岡) 祖父の湯木貞一が、29歳で始めたんですね、吉兆という小さな割烹を。その9年後に、株式会社吉兆という組織を作っている。現在、会社説明会をするとき、学生に伝えるのは、なぜ今吉兆が存在しているのか? 昭和14年に株式会社吉兆になったからだといっているんですね。割烹の親爺が、9年で株式会社をつくるのは、当時不可能ですよね。なぜなっているのか?才能があったのではなくて、周りに才能ある人が多かったんですね。お茶、芸能、文化、経済など各分野の名だたる人々が祖父を助けてくれた。実業界の大物たちが、サポートしてくれたり、魯山人が来たり。お茶を通して知り合った人たちなんですね。
茶室は、お金、権力など関係ない空間です。いわば、利休と秀吉の関係と同じです。そういった人たちが、貞一の味方をしようとか、もり立てていこうと思ったのは、貞一の素質だと思います。人間的な魅力があった。それから、利用する価値があった。だからみんな集まったんですね。貞一も、利用してもらおうと思った。昭和36年には東京に出店しています。ブレーンのひとりに、これからは東京だ、東京で出店しなさいと勧められた。祖父は断ったらしいんですね。資金もないし、人手もないし。すると、資金も土地も出しましょうといってくれた。東京の銀座に料亭吉兆を出すことができた。東京出店の手順、タイミングもよかった。当時の第一級の人たちがアドバイスして、それを素直に聞いていた。株式会社になったことと、東京への出店。それでできあがったのが現在の吉兆です。今、それをもう一回思い起こして、テクニックの上っ面にとらわれないで、人と人との関係を見直していく、あるいは、私たちが役に立てることを探す、ということをやっていきたいと思います。

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