「吉兆」といえば、かの魯山人も舌を巻くほどの「味」と「器」と「もてなし」がつとに有名だが今回は「料理道具」についてのお話。京都の、いや日本が誇る料理人はいったいどんな道具を手に料理と向き合っているのだろうか。
『徒然草』の吉田兼好が述べるには、<心は必ずことに触れて来たる>そうです。 佐藤春夫の訳によると、<心というものはかならずそのことに触れて、もよおしてくる>とのこと。 せっかくなので兼好さんが言われんとすることを、もう少し。 これは「筆をとれば物書かれ云々」という文脈を受けての言葉。筆をとればその気になって何かを書きたくなるし、楽器をとれば奏でたくなる。杯をとればやはり飲みたくなる。 このように”人は何かこと(もの)に触れると、もよおしてくる”ということらしい。 この特集のテーマに沿った話へ戻すなら、「包丁」を持てば料理がしたくなる、ということでしょうか。当たり前の話ですが。ただ、この「道具」と「もよおす」の関係性、筆者自身にあてはめると、若干の「俗さ」を伴ったものとなる。 それは「いい道具」を手にしたら、「いい料理」が作りたくなるという構図。 邪な考えであるのは重々承知。けれども「今、オレ、”有次”の包丁もってる」、さすれば「いっちょ、ええもん、こしらえたろうやないか」という心模様が現れるのも(素人の料理好きなら特に)ある種、自然でしょう。 |