京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページへ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」の簡単ご予約 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」オンラインショップ
懐石料理の料亭「京都吉兆」へのお問い合わせ
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」トップページ 店舗紹介-嵐山店,花吉兆,京都リ−ガロイヤルホテル店,ホテルグランヴィア京都店,松花堂店- 料亭「京都吉兆」の今月の京料理・懐石料理 懐石料理におけるおもてなしと、茶時,魯山人,楽焼,バカラ等、器の文化 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」イベント 京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 京都嵐山の懐石料理の料亭「吉兆」徳岡邦夫のコラム
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 新聞・雑誌等
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年
1999年
京料理・懐石料理・日本料理の料亭「京都吉兆」メディア紹介 TV・ラジオ・他
TV・ラジオ・他
動画をご覧いただくためには
※動画をご覧いただくためには
Microsoft Media Player
が必要になります。
1 | 2 | 3 | 4 [ 前のページ | 次のページ ]
Kunio Tokuoka
「京都吉兆」3代目主人。1960年、大阪生まれ。ワインや香道、能もたしなむ
和食といえども
京都と東京ここがちがう

平松:東京で京料理と言えば、「薄味」と考えている人が多いと思うんですけど、だしの味とか甘味もしっかりしてるから、そんなに「薄くない」というのが私の素直な感想でした。

徳岡:イメージって大きいですよね。美味しいっていうのは、たぶん、本来、体が欲している物で健康に良い物なんですよ。だから、人それぞれ 年齢や地域で違ってくるんですよね。長い年月を経て、内臓もそれに合わせて変化して対応していく。生産者を含めた環境の違いや、その積み重ねが、本当の関東と関西の違いかもしれないですね。今の東京は情報が支配してるように思えます。京都のほうが大人の味覚、風情なのかも…。

笹岡:京都の料理に慣れているせいかもしれませんが、和食に関しては京都のほうが美味しいと感じます。京都の料理人はそれだけ趣向を凝らしたり、ひとつひとつ丁寧に作られる。結局は気遣いではないでしょうか。僕は、人と人との触れ合いやめぐりあいを大切にする気持ちが”日本の心”だと思ってるんです。「なぜ、お花を生けるのか?」と考えますと、技術を上達させて綺麗に生けてあげることもひとつの目的ですし、芽が出て、咲いて、枯れるまでという植物のサイクルと自分の生活を考え合わせるという意味もあります。しかし、家や料理屋さんにお花を飾り、「あぁ、こういう季節なんやなぁ」と皆で共感したり、家族や、友達、お客様が話をするきっかけにしていただく。そういう出会いを大切にする気持ちが一番大事だと思っています。

徳岡:その通ですよね。

笹岡:食べ物にもそれと同じ事が言えると思うんです。二代目のご主人がやっておられる「貴船 鳥居茶屋」は、お若いながらも細やかな気遣いが感じられるお店なんです。たとえば、焼き鳥を出すタイミングでも、どこまで食事が進んでいるかというのを見計らって焼かれるんです。そういう心配りが一品一品にまで行き届いているのが和食というか、京都の料理のいいところじゃないでしょうか。

徳岡: お茶でもそうだと思いますね。自分を綺麗に見せるためとか、作法を知っているから偉いんじゃなくて、お互いが仲良くなるために気遣いながら楽しくやろう、というのがお茶の作法だと思うんです。お客さまの気持ちと亭主の気持ちが合理的にインタラクティブする。そのことを約450年ぐらいかけて作り出してきたんですよね。料理でも、80歳のおばあさんと20歳の青年が一緒に食事に来られて、同じ料理でいいのかと言うと。やっぱり違うはずですよね。その中に作り手の気持ちがないと、響いてこないような気がしますね。

平松: そういった心遣いを、京都のお店はさりげなくやってらっしゃるんだと思いますね。押しつけないし。だから、わかる人にはわかるし、わからない人にはわからないっていう…。つまり東京のお店は、門構えにしても、器にしても、わかりやすい特徴や面白さがあるんです。逆に京都では全然飾り立てていないんだけれでも、廊下にちょとしたお花が飾ってあって、それが季節のお花だったりする。気付かないまま食べて帰ってしまうお客さまもたくさんいらっしゃると思うんですけど、そういうことにちょっとした気遣いをしてて、さりげないのが京都らしいお店なのかなって思います。

徳岡: そういうのって笹岡さんの家みたいなところが京都にはたくさんあるからじゃないですか。お家元と言われる人たちや文化人がそういう物を積み重ね、育んできたのかなと思いますね。要するに、お店とお客さまがキャッチボールをするんですよ。そういう時に、ボールの投げ方がうまいお客さまがたくさんいて、そういう人が京都の文化を作り上げて、そのボールの投げ方をそれぞれが身に付けていった。関東と関西の違いはそういうところかもしれないなと思いましたね。

平松: お店の人と会話することって、東京ではなかったんですね。私たちは料理を食べに来てて、お店の流れで料理が出てくる。でも、京都に来たら、お店のほうがお客さまの流れに全部気付いて、見ててくださってると感じた事があります。私はまるっきり東京の人間なんですが、京都人の主人と東京でご飯を食べに行った時に、「これは後で食べたいからゆっくり出してくだいね」とか、主人がやたらと注文が多かったんですよ。私はそれを聞いていて、「お店はそんなに融通がきかないんだから、いいじゃない」って思ってたんですけど、京都に来たらそれが凄く理解できて。そんなこと言わなくてもやってくれる世界なんだっていうのは、びっくりしましたね。

徳岡: 割烹って対面式でしょ。作る人が目の前にいて、お客さまの気持ちをわかりたいって思っている。でも、見てるだけでは、なかなかわからない部分があるんですね。だから、お客さまのほうから言ってあげるのが優しいってこともある。店側もそれを求めているんですから。それだけのお金はちゃんと払うというのが、いい旦那で、いいお客さまなのかなって。

平松: そうですよね。

徳岡: だから、僕はいつかそういうお店をしたいなって、ちょっと考えてるんですよ。材料の名前だけしかメニューに載っていないというのをね(笑)。「これ焼きましょうか、造りにしましょうか」って作りながらいろんな話をする。僕自身、そういう店に行きたいんですもん。料理屋冥利に尽きますね。

平松: 私は最近、”食べ心地”というのを凄く感じますね。東京にいたころは、新しいお店や誰々さんが開いたお店を食べ歩くタイプだったんですが、京都に来てからは、作ってらっしゃる人だけでもなく、料理だけでもなく、情報だけでもない…。何かえも言われぬ”食べ心地”のいいお店があるんだなって。その食べ心地は、いろんなことが集約されていないと感じられないんじゃないかと思うんです。
1 | 2 | 3 | 4 [ 前のページ | 次のページ ]
Copyright © 2006 kyoto kitcho. All Rights Reserved.
京都スローフード協会 食コミュニティー 湯木美術館 コンプライアンス委員会 エチエ農産
個人情報保護 会社概要 リクルート English